イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

秘密の隠れ家で「幸福」に出会う!

2008-06-26 | 第七章「光と復活体」

 先日、下の娘から、昔良く行った秘密の隠れ家に連れてってくれないかといわれ、15年ぶりくらいで、ログハウス風のその喫茶店に行った。

 昔とほとんど変わっていなかったが、入り口の薔薇の花が随分立派になっており、遠ざかっていた年月を感じた。

 娘達が、まだ小学生のころ。私は多摩川沿いの近くに住んでいたこともあり、ジョギングをしたり自転車で遠出した。その中で、この喫茶店を見つけ、娘たちとよくそこに行った。

 中は木製の洞窟のようであり不思議な感覚である。下の娘は、懐かしいその喫茶店に満足し、私たちは当時と変わらない幸福感を感じて家に戻った。秘密の隠れ家といっても、皆知っている場所でもあった。

 想えば、20-15年前ころから、社会は大きく変わっていく。グローバリゼーションの大波がやってきたのだ。その中で、多くの人の幼いころからの夢というか、「幸福の条件」は破たんして行ったのではないか。自殺者が30,000人を越えること10年以上である。

 大丈夫と思っていた会社がリストラを始めたりする。安心していた老後も不安となる。子供たちの成長も、昔以上に難しいことが多い。人間関係もそんなに簡単ではない。将来に希望を持てない若い人たちが多くなる。

 世の中、確かに個々人の「幸福の条件」は厳しい試練を受けているようだ。

 私にとっての「幸福の条件」はどうであったか?1999年を境に、大きく変わってきていることは確かである。生きがいの心理学を勉強しだしたのも、28年勤めた会社を辞めたのも、社会教育の分野に興味をもったのも・・・自分で捜し求めてきた「幸福の条件」に関係があるようだ。

 楽な道をいくのが「幸福の条件」ではないように思う。自分の死を想いつつ、逆に幸福の条件を考える。

 ただ、どんな環境でも、幸福感は得られるように思う。コルベ神父がアウシュビッツで家族持ちの方の身代わりとなり、飢餓室でなくなる過程で、同室の囚人と賛美歌を歌っていた時は、きっと幸福感の中にいたのだと思う。身体的、精神的な最悪な条件でも、幸福感はきっと得られるのだと思う。

 そんな極端なことは私には無縁だと想うが、娘と行った先日の秘密の隠れ家は、幸福感が漂っていた。

<光3/4>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!