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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

17歳が人生で一番とは誰にも言わせない!

2008-08-05 | 第八章「魂と聖霊」

 最近、今まで音沙汰のなかった、高校のクラス会が開かれるようになってきた。残念ながら、まだ参加できないでいるが、懐かしい学友に会いたいものだと思う。

 40年前。私が17歳の時は1968年であった。

 17歳は、心理学者エリクソンの8つの人格形成論から見ると、忠誠心の段階であり、アイデンティティや自己混乱感の芽生える年代に入る。私にとって17歳は、自己混乱の最たる時期であったが、どうも一般的に17歳のころは混乱の時期のようだ。

 最近研究している源氏物語の光源氏17歳の時は、夕顔の不気味な死があった。比叡山、法華堂で手厚く夕顔のために法要が行われたとのことであるが、大変な事件だったことがしのばれる。

 自分にとっても、幼いころから可愛がってくれた祖父の死があった。祖父は、老衰で徐々に身体が弱り、亡くなっていくのだが、その経過を近くで見守ることができたのは、魂の貴重な経験だったように思う。

 世相は、怒濤のように学生運動が活発化してきた時期であり、東大入試中止が決まったり、新宿騒乱事件があったりした。自分の高校の中でも、いろいろな動きが始まっていた。一方江川が奪三振401の世界記録を作ったり、メキシコオリンピック開催の年でもあった。

 少年時代では疑わなかった、親の信仰や価値観は色あせ、また当時の世相を反映して世俗的なことは、すべて反発の対象になった。こころの中は、混乱感が満ちていたが、その中でも祖父が好きだったので、建築家になる夢をもち続けたのは幸いであった。

 また、男性ばかりで今考えると変?であったが、学友10人くらいと交換日記を書いて、こころの中を打ち明けたことが救いであった。ただ、この交換日記どういうわけか、大切にある人が保管しているという。若い頃の日記はすべて処分してしまったが、この交換日記は存在するらしい。恥ずかしい!

 しかし、17歳を自殺したり犯罪を犯すこともなく、乗り切ったことは感謝すべきだと思う。

<パラダイムと景色2/4>

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