イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

夏に冬を想い涼む!

2008-08-10 | 第八章「魂と聖霊」

 1974年の夏に書かれた私の短編小説の季節は冬であった。思えば、エアコンなど余り普及していなかった時代であり、夏の暑い時に冬を想い涼みたかったのだと思う。

 7歳の時のアラスカ、幼いころの冬。寒い記憶は結構豊富である。

 人生を季節に例えると、冬は老後の世界や死と結びつくように想う。23歳のまっただ中で、考えていたことも、暑いせいだけでなかったが、死とか宗教の世界、そして自己実現のことであった。

 当時は、管理工学科4年生であり、行動科学の研究室に所属し、朝から晩まで実験心理学に没頭し始めていた。自己実現というアブラハム・H・マズローの言葉を知ったのもそのころだと思う。

 因みに、自己実現という言葉はマズローの欲求五段階説と一緒に有名であるが、マズロー本人も嘆いているように、誤解されやすい言葉のようである。本当は、愛他的、献身的、社会的志向を大事にしたかったようである。

 23歳の時に想った自己実現。どうどう巡りでどこに辿りつくか分からない自己実現であった。そして、今の自分と比べてみると、ひとつの違いが浮かんでくる。信じる特定の信条や哲学もない23歳の私。既存の宗教(カトリックなど)など信じてたまるか!という若さがあったが、逆に自己を捨てても帰依したいという謙遜さがなかった。そして具体的に行動したわけではなかった。

 一線を越えて、信じて見える世界は実は強烈である。内田樹氏の「街場の現代思想」で学んだが、例えば貨幣を信じ貨幣があったからこそ、多様な商品ができるのである。現代の経済は物々交換の延長にあるのではなく、貨幣を信じるという革命的なことからスタートしているようだ。

 会社に入って(昔の終身雇用制が典型的)初めて見える世界。特定の宗教(キリスト教、仏教、神道、ヒンズー教、イスラム教・・・)に帰依して見える世界。自分もその後いろいろ経験した。

 23歳の私が見えなかったこと。見ようとしたこと。その観点で振り返ると楽しい。

<1974年のタイムカプセル 3/4>

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