イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

記憶にない幼き頃を探究する!

2008-10-30 | 第一章「意識と知覚」

 昨晩はNHKの「その時歴史が動いた」を観た。「源氏物語」誕生のその時が、1008年11月17日であり、一条天皇に源氏物語を献上した日とのことである。源氏物語が千年紀という意味もそこにあるらしい。

 源氏物語に興味をもってから、写真の植物が紫式部であることを覚えた。気を付けていると、この季節に紫式部を良く見る。

 さて、源氏物語の主人公である光源氏の幼少期について、昨日から想いを巡らせていた。光源氏が3歳の時に、桐壷の更衣が亡くなるという事件があるが、それ以前については殆ど記載がない。

 ただ、状況から考えて、帝からも桐壷の更衣(母)は寵愛されていたから、極めて大切に育てられたに違いないと思う。当時の文化が良く分からないのだが、恐らく、泣いたら誰かがオムツの世話など、きちっとやられたと思う。

 この時期0歳から2歳は、エリクソンでいうと、人が希望をもって生きる原動力となる時代だそうである。基本的信頼が芽生え、反対の感情である不信感も芽生える。

 この記憶にない0歳から2歳ごろまでの時期。私もそうであったが、心理学を勉強しない限り余り興味がわかないものである。しかし興味を持ち、自分の短所や長所(倫理道徳で自分を責めるわけではないが)を考えるときなどに役にたつようだ。例えば、この落ち着きなさは何処から来たのだろうかとか、自他混合しやすいところはどこから来たのだろうかなど、考えていくと、この0歳から2歳のころは面白いようだ。

 幸い、母が健在であり、生まれてから2歳ごろまでの、生活や状況、ストレスをうむような事件などのことを教えてもらったりすると、何か納得できるところがある。成育史の影響は大きい。

 また、最近は自分史年表に関する、本やインターネットによる情報も沢山あり、私でいうと1951年から1953年の世相が簡単に判り参考になる。

 渋谷区の病院で生まれ、まだ日本に返還されていない羽田空港の近くに父母と住む。親戚の叔母さんが数か月同居したりしたそうである。何年か前に、機会がありその周辺に行ったが、当然ながら昔の記憶もないので、こんなところに住んでいたのかと想うだけであった。ただ、母から聞かされただけより良いかもしれない。

 自分とは何か、自分の感情はどんなものか、そんなことを考える時、視点を変えて0歳から2歳の記憶にない時期を探索すると楽しい。同じ年に生まれた人との交流も、同じ年代で同じ世相を経験した人であるので、どこか似ていて有益かもしれない。自分のこころの成り立ちは、自分だけの責任でもないことを知るきっかけにもなる。

<信頼と不信2/4>

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