サラリーマン生活はストレスに溢れている。暗い感情の不安や怒りは当たり前だが、時に身体まで影響をもたらしたりする。
父も、良く日常薬として胃腸の薬を飲んでいたが、私も会社を辞めるまでは、胃腸の薬を愛用していた。そんな時代はストレスを楽しもうなど、つゆとも思わなかった。ゆっくりした休みが待ち遠しかった。しかし、休みが終わり日曜の夜となると翌日の仕事を考え暗くなったこともあった。
リッフレッシュ休暇など、長期休暇も家族で楽しんだが、バカンスを終えて帰宅するときは、仕事のことが頭にこびり付き、とても暗くなった。
海岸でサーフィンをするように(私は見るだけであるが)、ストレスを楽しむ。こんなことはあるのだろうか?
オセロゲームのように、ある一手で白黒反転してしまうようなことはありそうだ・・・と最近考える。先日参加させて頂いた、災害ボランティアの会合でも、何で、誰も考えたくないようなことを逃げないで考え続け、貴重な人生を捧げることができるのだろうか、と思った。
しかし、良く考えると、ストレスをあたかも楽しむ(ストレス・サーフィンとでも呼ぼう)かのような人が確実に存在するのだ。
日本でも、古くは命を捨てることを覚悟して中国に渡った学僧。反対に海外から命をかけて、宣教師も来たが。
見まわしてみると、現代でもこのストレス・サーファーが確実に存在する。
人を助けるため、命がけで仕事をするプロフェッショナルもいる。安全で楽そうな仕事はいくらでもあるのにと普通の人は思うだろう。
身近なところを見ても、妊婦という存在もある。男には想像のつかない、ストレスの塊のような出産に挑戦する。
何故そんなことをするのだろうか?ひと仕事の後のおいしいビール(私の場合だが)を飲むために(幸福感を得るのでであろう)辛い仕事をする。ちょっと想像できるが、命まで掛けるとなると、どうもその人の人間観・哲学といった、深いところの問題のような気がする。
<ストレスを楽しむ 1/4>
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