イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ひとりぼっちではない!

2009-06-12 | 第八章「魂と聖霊」

  娘が臨月を迎え、出産準備に大わらわである。少子化の今の世の中、死亡通知を受ける機会は多いが、誕生の連絡は少ない。何となく落ち着かない。

 サラリーマンを辞めたこともあり、娘に付き合って車で産婦人科にいったりしているが、人の生について考えさせられる。

 また、ちょうど、生き甲斐の心理学の勉強に関連して日本神話の勉強をしているが、神々の誕生の話が、とても身近に感じられる。

 さて、質問であるが、古事記や日本書紀に宇宙創成期に、一番はじめに登場する神様はどなたでしょう?イザナミ・イザナギ、アマテラスオオミカミ・・・  違います。

 御存じの方も多いと思いますが、答えは、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)です。この神様は、とても重要な神様のようですが、古事記の冒頭に出てくるだけで、その後の話が記載のない、不思議な神様です。近世になって、北極星と習合して妙見菩薩になったという話もあり、興味がわくところであるが。

 さて、良く考えると、最初の神様はとにかく、次の神様以降は、この世に何か存在する訳で、生まれて来たときは、ひとりぼっちではない。神様もそうであるから、現代の子供達も、出産時には、当然誰かが居る。

 この世に生まれた時に、自分以外に誰もいない・・・これは本当に怖い話であるが、少なくとも、世界の神話では、自分が誕生するとき(今の時代)に自分以外に誰かいるのがあたりまえである(神様も当然存在する)。

 We are not alone. というメッセージで有名な映画もあるが、私たちが生まれた時も、きっと誰かがいる。そして、その誰かの中には、愛そのものの存在があるかもしれない。

 この世の中に、愛そのものの存在がある。そう信じてみると、いろいろなことが見えてくる。この章では、日々の困難(場合により危機も)の中で生き抜く私たちの存在を考えてみたい。

 現代よりも、もっと過酷な時代もあっただろう古代。私たちの祖先は、愛そのものの存在を信じていたのだろうか?(私はそう思うが)

<総論 1/1>

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