イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

比叡山を想いながら・・・

2009-07-04 | 第八章「魂と聖霊」

 ある時代、ある文化、ある集団に属する。人間であれば当たり前のことであるが、その相違故に、人は同じものでも違った解釈をするようだ。そんなことを最近とみに思う。

 生き甲斐の心理学では、「体験の解釈は世界を変える」という言葉がある。物事が起こると、人は兎角、ある時代、ある文化、ある集団のパラダイムや規範から一面的に解釈しまいがちである。

 しかし、状況の変化などを経験すると、それは多様に解釈されて良いのではと思っうことがある。

 例えば、私の好きな比叡山、中学校の修学旅行で初めて観光バスで行ったが、根本中堂で30分程度だったと思うが、板の間に正坐させられ辛かった。ただ面白いお坊さんの説教に何か納得した(内容は忘れたが)。

  大人になって、比叡山に興味を持ったのは、NHKで梅原猛氏の最澄に関する講座を拝聴してからだと思う。日本の仏教を語るときに比叡山を語らずして語れないということを、その時初めて知った。

 仏教というか、それ以前の何万年という日本人の精神文化まで広がるかもしれない。

 そして、2年前に、友人から誘われて、時間をかけて比叡山を周り横川中堂まで足を延ばすことができた。

 比叡山は、いろいろに解釈されて、今に至っている。最近はユネスコに世界遺産に指定されたりしている。

 私はカトリック信徒であるが、宣教師が沢山来日して、日本人に100万人近くの信徒がいた16世紀、比叡山を当時のある宣教師は悪魔の山と呼んだ(イエズス会宣教師が見た日本の神々 ゲオルク・シュールハンマー著 安田一朗訳 28ページ)。

 しかし、その同じ山で、近年宗教サミットが開かれた。そして、その中にカトリックも参加している。16世紀の状況と比べると随分違う。

 1981年ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が来日されたとき、最澄の「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」の思想を引用され、この思想は平和の原点と話されたそうである。日本人の私としては、とても胸をうつことばである。

 ちょっと、身の丈より大きな話になってしまったが、自分の中の比叡山。自分史の中でも、比叡山は様々な印象を与えてくれたことは確かである。

 また、自分の祖先のことを考えれば、約1200年の比叡山の歴史なので、一世代30年としても、自分の祖先は40代にわたり何らかの関係があっただろう(私が修学旅行で行ったように)。自分には父や祖父母の時代は知っていても、それ以上の記憶はほぼゼロに等しい。

 恐らく、比叡山に対する見知らぬ膨大な数の祖先達の想いは多様であるだろう。そして、そのことを考えながら、謙虚さの重要性を改めて思う。

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