イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

涙の神様!

2009-07-10 | 第八章「魂と聖霊」

 涙には個人的にも様々な想いがあるが、先日、日本神話の中で涙の神様のことをいろいろ考えた。

 私を含めた日本人は、厳しい環境の中で何百世代、あるいは1000世代以上日本列島で生き抜いてきた。多くの祖先が涙を流した中で、どういう場面が神話に入っているのかというのは、はなはだ興味のあるところである。

 涙の神様は、泣沢女神(なきさわめのかみ)で女神のようである。

 有名なイザナミ、イザナキが結婚し、イザナミはもの凄いお産をする。国産みをしたり、木の神、風の神、山の神など沢山の神様を産み、最後に火の神(ヒノカグツチノカミ)を産む。それが元で苦しみぬいて亡くなる。

 イザナミが亡くなった時、妻を亡くしたイザナキは遺体に取りすがって号泣した。そのときの涙が泣沢女神(なきさわめのかみ)になった。

 生きている中で、いろいろ辛い経験があるが、肉親の死。中でも愛する配偶者の死は最大級の辛い経験であることは想像できる(最大のストレスと何処かで読んだ記憶も)。しかも、お産の責任の一端も夫にはある。医療の発達された現代と違い、多くの人が命を落とすお産。その時の涙を神様にしたのは深い意味があったのだろう。

 涙の神様の由来も凄く、また納得できるが、もうひとつ、涙が神様となり、祈る対象になったということも凄い。

 日本神話の中の、ひとつひとつの存在に対する畏敬の念というか鋭い感性に改めて驚いてしまう。

 神話は多神教とかアニミズムとかで知的に追うのではなく、実感しつつ読み解いていくものかもしれない(心理学の教科書の読み方と同じで)。

 写真の花はトルコキキョウ。キキョウの花言葉は変わらぬ愛。

<旅は道連れ 1/8>

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