イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

魂を信じる?

2009-07-19 | 第八章「魂と聖霊」

 日本人は特定の宗教に所属する方は少ないが、死んでから何らかの形で魂が存在すると考える人が大半だという(読売新聞の調査などで)。

 そういえば、夏休みに入り、まもなくお盆の季節になるが、帰省をしお墓参りをする習慣も、この魂に関わる話である。お盆に祖先の魂が戻ってくるという思想は、かなり古く、仏教等の宗教が日本に到来する以前からあったという説も有力なようである。

 人が死に、その魂が身体を離れるが、時にこの世に戻ってくる。祈りにより、その魂も浄化され時とともに優しい祖霊となっていく。そんな思想があるようだ。

 魂とは何だろうか?自分は何なのだろう?こうした疑問は小学校低学年のころ、私にふつふつと湧いた。昼食の時間に、そんなもの想いに浸っていると、担任の先生から、静にしていると変に褒められた経験がある。

 しかし、就職してからは、忙しいこともあり、魂のことなど考えたこともなかった。それが、40歳台後半から心境の変化もあり、特にU先生に出会ってからは魂のことを深く考えるようになった。

 最近では、カトリック神学者(ジーン・ドージャ)の思想の影響もあり、次のU先生の仮説にほれている。「魂(純霊)は愛そのものであり、老いることもなく、病むこともなく、人間の死とともに身体から離れる知的生命体」。

 実際に、役立つ心理学の勉強として、自分の中に、この愛そのものの魂があると信じてみる。ちょっと違和感(自分はしょっちゅう間違いをするし、罪深い存在でもあると思っているので)があるが、自分にも愛そのものの魂が、自分の心の奥の奥にあると考えてみる。

 自分には身体(50台後半、日本人、男性・・・)もあるし、成育史からなる特別な心もある。いくら愛そのものの魂が心の奥の奥にあるとしても、実際今の自分の感情・思考・行動にはストレートにその兆候がでているとは限らない。しかし、何らかの愛の投影・兆候があるのだろう。・・・そんな風に考える。

 自分の魂と同様に、日々出会う人たちにも愛そのものの魂が存在していると信じてみる。

 この5-6年福祉、介護、教育の仕事やボランティアの経験もしてきたが、この愛そのものの魂を信じることで、豊かな経験をさせていただいたことがあった。感謝である。

 さらに、信じる力をつけることで、もっと素晴らしい世界が開けるかもしれない。

<旅は道連れ 8/8>

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