50台後半になると、学校時代の仲間や勤めていた会社のOB会などに誘われる機会が多くなってくるようだ。楽しく歓談し、旧交をあたためて別れる。
趣味の集いや、何か同志の集いも楽しいが、何かの縁であるときある場所で知り合った人たちの集まりも別の意味で楽しい。
数十年ぶりに再会した方が、外見は変わっても、話しているうちに、変わっていない何かに安心し、意気投合したりする。
さて、そんな様々な同窓会に抵抗なく参加できるときと、そうでない時。そんな違いに気づいたことはありませんか?
過去のある時期、ある場所での人との出会いと、そのころの自己イメージ(価値観等)。そして、全く違った環境での現在の自己イメージ(価値観等)。それが、同窓会という場でどう統合されるかという問題かもしれない。
人は、時間とともに身体も変わり、人生の経験からなる心の世界も変わってくる。唯一変わらないのは、良く分からないが魂(愛そのものと考えたい)だけかもしれない。
理屈から考えると、同窓会という場で、過去の自己イメージと現在の自己イメージを統合し、再会の喜びの中、平安になるのがより健全だと思う。
ただ、自分にもいろいろな時期があり、抵抗を感じたり、あるいは参加するのを躊躇うことも、長い人生の中では大いに意味のあることだとも思う。
しかし、同窓会に行かなかったりするうちに、いつのまにか再会するチャンスを逃してしまうことが辛い。
同窓会で知った、亡くなった旧知、旧友、旧師。もうこの世での再会はできないかもしれないが、天国で楽しく語り合うことを信じよう。
<人間関係 1/8>
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