イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

モモの霊力!

2009-07-27 | 第九章「愛」

 夏は、おいしい葡萄、スイカ、そしてモモの季節でもある。今年も既にスイカ、モモはおいしく頂いた。葡萄は夏休みに田舎で頂くことができる。

 さて、こうした美味しい果物は、遠い祖父母の時代にもあったようである。日本神話にも出てくる。

 黄泉の国でイザナキが黄泉の国の住人から逃げ出す時に、山葡萄になる髪飾り、櫛の歯からの筍(たけのこ)、十握の剣で黄泉の国の住人と戦う。そして、最終兵器としてモモを3個なげて完全に追い払う。

 古来よりモモには、神聖な霊力があると信じられていたようだ。

 そういえば、吉備の国は桃が有名である。桃太郎伝説でも、モモを神聖なものとして扱っているように見える。

 モモを眺めてみる。ちょっとエロチックでもある。そして、そうした特徴が、モモを神聖なものにしているのかもしれないと考えた。

 セクシャリティというと、俗的なものとイメージしがちであるが、決してそうではない。旧約聖書の雅歌では、男女の愛が神への愛に繋がる隠喩として描かれている。詳しくは聖書を読まれるか、あるいは「人の身体は神の神殿」(植村高雄著 アマゾン等で販売中)が参考になる。

 そして、日本神話の中にもオオクニヌシの物語の中の、ヌナカワヒメの美しい詩が2つある。そのうちの一つが次である。雅歌に似ていると感じるのは私だけだろうか?

八千矛の 神の命 ぬえ草の 女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ 今こそは 我鳥にあらめ 後は 汝鳥にあらむを 命は な死せたまひそ いしたふや 天馳使 事の 語言も 是をば
青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て 栲綱の 白き腕 沫雪の 若やる胸を そだたき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕き 股長に 寝は寝さむを あやに な恋ひ聞こし 八千矛の 神の命 事の 語言も 是をば

 モモの話から、ちょっとそれてしまった。さて、先のイザナキの黄泉の国でモモを投げて戦ったあと、イザナキは既に黄泉の国の住人となったイザナミと言葉を交わす。ちょっと淋しい別れの結末なのであるが、お互いに「愛しい人よ」と、言葉を投げかけているので救われる。これはモモの霊力のお陰かもしれない。

 そんな、ことを妄想しつつ、今日はモモでも食べてのんびりしたい。

<人間関係 2/8>

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