イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

今も昔も金・金・金・・・でも所詮金!

2009-08-20 | 第九章「愛」

 石見銀山の歴史を振り返えると、利権を争い、戦争があったり、最後は天領となったりで凄まじいものがある。

 古代史を勉強しても、やはり経済的な問題は何時の世でも大きな問題だったと感心したりする。

 自分の過去を振り返っても、経済的な問題は、自分の生き甲斐の問題と切っても切り離せない大問題だ。

 昔、20年くらい前であろうか、ライフデザインのセミナーを受講したことがある。その時、人生における経済問題に関していろいろ学んだ。既にリタイアした講師の方から親身になって、「余計なお金は残さない。必要なお金(生涯を通じ)だけを稼ぐ。」そんな哲学をしっかり学ばせていただいた(でも、実際はその勉強の成果が出ず、軸がブレてしまう経験も・・・)。

 お金はいくらあっても在り過ぎて困ることはないようであるが(そこが魔物的であるが)、自分のお金に対する理想が現実離れして高くなり、その為に大きな過度の不安(現実とのギャップ)を背負いこむことになりがちである。

 また、お金を稼ぐことは、必ずしも生き甲斐のベクトルと重ならない。重なる人は本当に幸せだと思う。その為、お金稼ぎを最適化し、生き甲斐追及の火種をともし続ける必要がある。

 「恒産なくして恒心なし」も真実かもしれない。勿論その恒産は具体的に何かをきちっと知る必要はある。会社勤めをしていたときの、収入減の不安は大きかったが、納税や社会保険料の軽減や、生活の変化を考えておらず、後で考えると余計な不安だったと反省することも。

 既に廃坑となっている石見銀山。多くの人々の人生を見つめてきたのだろう。

<夏休みに考える 7/8>

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