イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人の死・・・

2009-08-21 | 第九章「愛」

 臓器移植法案改正案でA案が成立し、来年施行されるという。

 高校生の時、日本初の心臓移植があり、丁度そのころ自問自答したなまなましい記憶が今でもある。

 そのせいか、臓器移植法案や、それに異議を唱える哲学者やさまざまな報道に今でも関心をもって接している。

 臓器提供を受けたい人、臓器提供を志願する人。その行為への本質的な深い理解と愛と、そしてまわりの健全なサポートがあればそれで良いと割り切りたいが・・・

 ただ、いろいろ議論されてきた、人の死とは何かという問題がひっかかる。脳死は人の死とか三兆候死(心臓死)とかいろいろ定義がある。臓器移植がより成功率を高めるための定義だと思うが、身体の死とは何か・・・結構難しい問題だと思う。

 古は(日本でも)、貴人に対して死後3年間の殯(もがり)の期間を設けるなどして、ある意味で死者復活の可能性を残した。死とは人知を超えた不可思議なものという、判らないものは判らないとする健全な思想があるように感じる。

 昔も死んだと思った人が生き返ったことがあったのだろう。私も脳死や心臓停止が人の身体の死だと、断定する勇気は持てない。

 現代は知を大事にするが、感情は意外と大事にされない。知は時に間違いを引き起こすが、感情や体感の世界はアナログ的だがもっと安定しているようだ。私の感情や体感は、今流の死の定義をすんなりと認めることはできない。

 もうひとつ、延命治療の問題も、時おり考える。昨日も胃ろうについて真剣に語らった。自分の身体の生と死。結構難しい問題であるが、いざというときが必ず来るのも確かである。ぼちぼち考え、家族のものに伝えなければ。

(写真は大賀ハスの葉から花が落ちた茎)

<夏休みに考える 8/8>

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