「40歳が不惑なんて、誰にも言わせない。」
結構惑う年齢である(私の場合は)。
自分が40歳(1991年)のころ、父が肺がんで亡くなった。会社の仕事も責任が重くなってくる。家庭でも、子供が思春期になってくるなど余り考えなかった変化がある。社会も、冷戦終結で、大きな変動が始まろうとしていた。外資系の企業に勤めていたこともあり大きな辛い変化を実感する。
人が身体、生育史からなる心、そして魂から成り立つと仮定する(あるいは信じる)と、日々の不安の中に、身体や心では理解しにくい、より本質的な魂からの不安があるようだ。そして、そのころ魂からの不安を感じ初めていたようだ。
不条理に見える死とは何か。罪とは何か。・・・良く考えても判らない問題である。だが、考えても始まらないと思考停止するのも悲しい。いろいろ、哲学や宗教関係の本を読み始めた。
そして、本を読みながら、何かを徐々に掴みはじめていたようだ(後で考えると)。
考えてもしかたがない。合理的には、そんな誘惑に陥りやすいが、魂を大切にして、じっと魂は何を訴えているのかを思索することは大切だ。一見回答のないような問題ですら、自分の奥の奥には回答があると信じる(生き甲斐の心理学の鉄則でもある)。
ベランダの手すりの雨粒。何時落ちるのだろうか・・・
<今更人に聴けない「生き甲斐の心理学」 7/12>
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