イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ありのままを!

2009-09-04 | 第九章「愛」

 先日、国立新美術館で、展覧会「光 松本陽子/野口里佳」に立ち寄った。私も携帯でブログ用に素人写真を撮り始めて3年経過し、最近はプロの写真家に興味を持つようになっていた。

 野口里佳氏の写真展は、私が、こんな写真が撮れたらなあと、自分の無意識の世界も含め憧れていたことが、これでもかこれでもかと映像化されていたように感じた。

 私は、写真にも興味があるが、それを見ている自分の感情の流れにも興味がある(生き甲斐の心理学の学徒であるため)。

 例えば、海底の写真では、自分の幼い頃の海水浴や40歳台に行った南国も思い出した。何となく、ありのままの自分に戻るような、安心感といったらよいか、落ち着いた感情になる。

 つい最近の日食の写真では、自分も携帯でなんとかとったが、中国での美しい映像があり、羨望・嫉妬の感情も味わったりした。

 心地よい落ち着いた感情を充分味わえたのは、たまたま近くに寄っただけであることもあり、本当に幸運であった。

 尚、展覧会は10月19日まで開催されているそうだ。

 さて、写真に何故か興味が拡大していく私であるが、自分の40歳台のころを思い浮かべ、その時期の意味を今考えている。

 仕事や家庭、いろいろあった。自分の魂の変遷もあった。沢山の変化があったが、一言で、何が変わったかといえば、あるいは何に気づいたかといえば(人生の変局点で)・・・

 やはり、ありのままの自分を感じ、そして、ありのままの他者を認めた経験を得たということではないだろうか。

 心理学の教科書などには、受容という言葉が良くでてくる。善悪(倫理道徳)を越えて、そのまま一旦受け入れる・・・難しい禅問答のような表現である。ただ、感情的には、何か野口里佳氏の展覧会で自分が感じたものに近い、魂の領域の世界といえるかもしれない。

 <今更人に聴けない「生き甲斐の心理学」 9/12>

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