イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

フウテンの気楽さ!

2009-11-06 | 第一章「意識と知覚」

 寅さん映画は、大学の3年生の時に見たのが最初だと思う。中学生のころか、祖父に連れられて柴又に行き草団子を買った記憶があったので、何となく惹かれたのかもしれない。

 それ以来、毎年殆ど見にいった。特に結婚してから、妻とよく見た。

 ビジネスの世界で仕事をしたりしていると、何か反対?の世界の寅さんが見たくなったものだ。自分のこころに内には、不思議な傾向があったようだ。

 孫娘は生後4カ月を越したが、最近両足を一緒にあげてバタンと下ろす遊び?を気が乗るとする。周りの人が喜ぶので笑ったりするが、その力で寝返りを成功させた。寅さん映画も、ある時期私のバタンだったようでもある。

 さて、啄木の一握の砂を読んでいると、次のような短歌に遭遇する。石川啄木という人と寅さんは今まで全く結びつかなかったが、一握の砂を読んでいると、寅さんのようなイメージがでてくるのだ。これは深く研究できるテーマかもしれない。

 

飄然と家を出でては

 

飄然と帰りし癖よ

 

友はわらへど

 

呆れたる母の言葉に

 

気がつけば

 

茶碗もてきてありき

 

草に臥て

 

おもふことなし

 

わがして鳥は空に遊べり

 

心の防衛機制の退行と関係があるかもしれないが、何かもっと深いものと繋がっているようにも思う。寅さん映画には帝釈天と優しいお坊さんが登場するが、啄木の詩にも、最早宗教的といってよい自然が登場したりする。

(一握の砂 7/16)

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