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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

神仏(聖なるもの)のイメージ!

2009-11-22 | 第二章「五感と体感」

 啄木に凝ってから、どういうわけか、精神分析の本を読み始めている。精神分析というとフロイドが無意識を発見したりで有名であるが、19世紀的な機械論的哲学を基盤とした学問も、随分進歩しているようである。

 「聖なるものの精神分析」(J.W.ジョーンズ著 玉川大学出版部)をゆっくり読んでいる。それを読みながら、自分の神仏のイメージについて想いを巡らしている。

 幼いころの神(私は母がカトリックであったため、カトリックの幼児洗礼を受けた)は、厳しい神、裁く神のイメージが強かったようだ。思春期を迎え、青年時代は、実際の父のように怖い神のイメージ(無神論的な時期であっても、そういうイメージはあるようだ)であった。それが、恐らく教会に行くことを躊躇わせ、やがて、忙しくなってきた成年期は教会から完全に遠ざかった理由だと思う。

 20歳台。関西に5-6年独身で生活したが、そのころ良く京都や奈良を見学した。優しいお顔の仏像・・・厳格な神ではなく、自分の聖なるもののイメージは、もう少し穏やかになってきたようであった。

 そして、40歳台後半のある日。自分の神仏(聖なるもの)のイメージは決定的に変わった。愛そのものの神のイメージである。カトリック教会に再度通いだしたのもこの時期である。

 還暦まで2年を切っている。この世で暮らす期間も今まで生きた期間より短いだろう。これから豊かに暮らすためには、豊かな神仏のイメージをもったほうが良いようだ。自分はどうだろうか?

 今日は生憎天候が良くないが、素晴らしい紅葉も見られた。天国からのプレゼントのようである。

(「五感から」 6/16)

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