イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

土方歳三の俳句!

2010-01-07 | 第三章「無意識の世界」

 一昨日の夕方、友人と再度訪れた、高幡不動の浅川を挟んだ北川の石田寺。土方歳三の生まれた土地でもある。数年前の新撰組ブームも一段落したのだが、何故か今ごろ私は気になっている。

 たった35歳の若さで、函館の五稜郭で戦死するまで、多くの暗殺や戦争に係わった人である。豪農の土方家だったのか、石田寺にも沢山の土方名の墓石がある。土方歳三のお墓には、遺骨はおさめられていないと言われているが、いくつも花が手向けられていた。

 高幡不動から、多摩モノレールで立川方面に向かって一駅目の万願寺で下車するのだが、高幡不動からは、都営住宅を越え、そして多摩川の上流の浅川を越えてすぐの駅である。富士山も晴れていれば見える。

 土方歳三の俳句が幾つか残されているが、その中に次の句があった。

 水の北 山の南や 春の月

 この句、様々に解釈されているが、山の南は新撰組総長の山南敬助をさすと言われている。水の北は、私の直観であるが、浅川の北の生まれ故郷、石田の地の意味を含んでいるのではないか。無意識にかもしれないが。そうすると、土方歳三=水の北 山の南=山南敬助 春の月 という意味が出てくる。

 人と人の関係。それを土方歳三はどう感じ、解釈していたのだろうか。春の月という言葉は魂を揺さぶるようである。

 今、自分は生き甲斐のことに想いを巡らしているが、生き甲斐の本質の中には、自分と他者の関係性が基盤にあるのではないか・・・そんなことを想ったりする。また、この俳句を作った時期から後といわれているが、土方が山南敬助を殺害することを決心するが、その時の土方の心と魂の在り方を想像したりする。本来同志であったのが殺しあう。どう解釈していくのか・・・

写真は石田寺のそばの祠周辺。

(生き甲斐の創造 4/15)

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