イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

いかに生きるか<現代の四神>!

2010-02-16 | 第四章「愛とゆるし」

 奈良・京都に車で旅してから、はやいもので一週間がたってしまった。帰ってきてからもブログで旅行記を書いてきたので、まだ、奈良・京都の余韻が充分残っているようである。

 2-3日前から、丁度高校を卒業するころに、芥川賞で有名になった庄司薫の、小説を読み始めている。薫ちゃん4部作といわれる、「赤頭巾ちゃん気をつけて」、「さよなら怪傑黒頭巾」、「ぼくの大好きな青髭」、「白鳥の歌なんか聞こえない」の4作である。

 この小説は、今度訪れた奈良でお馴染みであった、四方を守る四神の朱雀、玄武、青龍、白虎をなぞっている。それと、自分の高校・大学時代に影響を受けた小説を通し(時代もよく判るので)、生育史を再検討してみたいという野望があるためだ。

 小説の主人公、薫は1950年生まれ、5人兄弟の末っ子。私と一つ違いであり、東大入試中止の年に日比谷高校を卒業した1969年を舞台にしている。私は、一年下で学力とは別に、抽選運もなければ入学できなかった学校群入学初年度で、薫ちゃんの経験しない高校紛争も経験した。

 小説の舞台は、場所的にも時間的にも本当に身近であった。そんなことで、中央公論で発表されてから、友達の影響もあるが何回も読んだ記憶がある。今となっては、小説のテーマ自体は、「生き甲斐の心理学」を学ぶ私にとって興味深々でもある。

 今、「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読了し、さらに「さよなら怪傑黒頭巾」まで読み終えた。自分にとって、馴染みの小説であるが、著者もいみじくも、四半世紀後にあとがきで書いているが、随分当時と時代が変わってしまったとしみじみ思った。浦島太郎の気分をちょっと味わったりしている。

 当時は世界人口が40億人(今は67億人)だったんだ・・・とか

 ホテルニューオータニも当時は華やかだった(ご存じ、その後大火災等で変に有名に)

 東大医学部の紛争から発展した全共闘運動・・・(今は、ベルリンの壁も崩れ。毛沢東語録なども今では誰も読まなくなってしまった。)

 鈍い・・という表現にケーコートーが使われるが、今では瞬時に点滅するLEDがぼちぼちと・・・

 都心のネオンでの社名・ブランドも、今では変わってしまった名前もある。ナショナル、フジサワ・・・

 こうした変化を感じつつ、1970年ごろの時代を生きた自分を、ちょっと高見から考察する。

 今改めて感じるのは、庄司薫氏の鋭い時代感覚だったのかなと思う。黒頭巾では東大医学部紛争等の心の痛みの話がでてくる。

 日本では当時、甘えの構造という心理学の本がベストセラーになったりした。故・土居健朗氏の1970年代初めのころのことだ。フロイトの防衛機制でいうと同一化が、日本人の大きな特徴というようなことが、いろいろ述べられている。

 自分のことを振り返ってみても、学園紛争(特に高校)で見たものは、同一化で甘えの構造の中で生きた学園が崩壊していく姿(同一化ができなくなること)であったのではなかろうか。

 そんな中で、社会人として民間企業に勤めるようになる。厳しい中にも甘えの構造が健在であり、楽しく仕事をし始める。社会全体でみれば甘えの構造を育む土壌が充分残っていたようである。

 今の世の中は、核家族化、企業も欧米化して様変わりし(従業員より株主重視など)、日本人が元気がなくなってきている。薫ちゃんシリーズでの1969年すら懐かし時代になってしまった。

  しかし、考え方一つで、今の時代は絶好のチャンスということになる。今まで埋もれていた宝を磨き、再生のチャンスでもある。黒頭巾の最後は、薫ちゃんが酔いから覚めて、まだ二日酔いの気持ち悪さの中で、朝の牛乳配達を待つところで終る。

 この牛乳配達も、今ではなくなってしまったが、私たちも皆、自転車で瓶を鳴らしながら走る牛乳配達を別の形で出来るのだと思う。

 写真は浜松サービスエリアの近くで撮った写真。

(感謝の領域<日本の歴史>29/60)

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