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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

哀れな策士にならないで!(カタストロフィーにも負けず⑨)

2010-02-26 | 第五章「和解と平和」

 この写真は、もう3週間前になる奈良・京都の旅行の時の早朝、車に乗った時の凍結したフロントガラスである。朝日が氷を通して見えるのが救いだ。

 その日は車を温めると、間もなく氷が解け、快適に出発することができた。

 昨日は春一番が吹き、春を実感したばかりだが、この凍結したフロントガラスで走り回った状況が、自分にもあった。

 「策士策に溺れる」ということわざがある。自分は、本質的に策士とは違うと思うが、ある時期、職務の関係もあるが、かなりこの哀れな策士になってしまった。

 叡智というものを、策士は本来追求すべきなのであろうが、仕事がら細かい仕組みの企画や立ち上げに汲々としていると、何か数学的な論理の世界に埋没していき、自分の感情や他人の感情が見えにくくなる現象(防衛機制の知性化)があるように思う。

 しかしながら、叡智には人間的な感情の世界、体感の世界がとても重要である。本来の最適な回答は、単なるロジックだけで見つけるものだけでなく、五感や体感も重要だ。

 そこがおろそかになってしまうと大失敗につながる。

 仕事の失敗もあるが、身近な人間関係などで、後で後悔する結果を招くこともある(自戒をこめて)。勿論世間的に成功する時もあるが、長い眼でみるとどうだろうか・・・。

 世の中、理屈以上に大切なことがあるものだ。ある意味で、理屈はあとからついてくるものかもしれない。策士の仕事(企画や計画、マネジメントなど)をするときは、理屈や理論を大事にする一方、それ以上に感情・体感を大切にしなければと思う。

 戦国時代の武将や、謀略の世の中の貴族が芸術(和歌や茶道、能など)や運動(蹴鞠や武道・・・)、座禅などを楽しんだのは、単なる気分転換などではなく、深い理由があったように思う。

(感謝の領域(カタストロフィーにも負けず⑨)39/60)

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