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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

持統天皇のおばあさまの御陵が!(性格形成5/10)

2010-09-10 | 第一章「意識と知覚」
 U先生の持統天皇のお話を読んで、ますます興味を抱き吉野裕子氏の「持統天皇」を味読していたら、テレビのニュースで牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)が、皇極・斉明天皇の御陵とほぼ確定されたとのニュースを聴いた。これは意味ある偶然の一致かと思いつつ、インターネットで牽牛子塚古墳の情報を収集した。

 さて、斉明天皇はご存じのとおり、天武天皇(持統天皇の夫)、天智天皇(持統天皇の父)の母であり、持統天皇のおばあさまに当たる。持統天皇のお母さま(遠智娘)の父である蘇我石川麻呂が天智天皇派の謀略で惨殺され、そのショックで遠智娘はまもなく亡くなるが、その時に一時、持統天皇(鵜野皇女)と太田皇女、そして弟の建皇子が斉明天皇に引き取られる。

 建皇子は、その後夭折するが、斉明天皇は建皇子のを自分と一つの陵に埋葬するように詔をだしたりする。牽牛子塚古墳の実際は、天武天皇、天智天皇の兄弟でもある間人(はしひと)皇女(天智天皇の妻?)が合葬されたそうだが。斉明天皇の子孫への愛を感じ、一度は訪問したい。

 しかし、持統天皇は日本書記には深沈大度の人とあり、日本の基盤を作った大切な一人だと思うが、その生育史を辿ると本当に凄まじい。生まれ落ちた時は、天智天皇のもっとも有名な事件、乙巳の変(大化の改新)。4-5歳の時には石川麻呂の惨殺。エリクソンでいえば、基本的信頼感、不信感(0-2歳)、自律性、恥辱・疑惑(2-4歳)、自発性、罪悪感(4-6歳)形成の時代である。どういう影響があったのだろうか、万葉集の中で次の歌がある。これは天武天皇が亡くなった時の歌であるが、その悲しみの中に、幼いころの思い出も隠れているのであろう。

やすみしし 我が大君の 夕されば 見(め)したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 神岳(かみをか)の 山の黄葉(もみち)を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見(め)したまはまし その山を 振り放(さ)け見つつ 夕されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし 荒たへの 衣の袖は 乾(ひ)る時もなし(万2-159)

 こうした、大変な人生を生き抜いてきた持統天皇。今もし政治の世界にいたら、どういう演説をするだろうか。

性格形成 5/10(信じて見える世界 25/30)

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(写真は天武・持統天皇陵)