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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

≪好き≫、≪嫌い≫という感情の神秘!(五感・体感を考える 9/10)

2010-09-24 | 第二章「五感と体感」
 昨日、≪認知症の方と一緒に・・・≫で人間が心(成育史)と身体と魂(臨終と共に離脱していく生命体で、愛そのもの)と考える重要さを述べた。ただ、自分のことを考えると、そうはいっても感情として、≪好き≫、≪嫌い≫があり。時には、もうあの人は苦手ということで投げ出したくなることもある。そうした場合は、いくら理性的に愛そのもの・・・と考えても、≪好き≫という感情を簡単に持てない。

 苦手な人は、始めからずっと苦手であったりすることもあるが、ある時を境に苦手になってしまうこともある。「覆水盆に返らず」という言葉があるが、場合によっては後悔をともなったりする。そして、普通は苦手な人から遠ざかるものだ。

 しかし、例えば仕事上どうしても付き合わざるを得ないケースもある。好きになるために(そこまで行かなくても、苦手でなくなるために)、いろいろ努力する。その人の良いところを必死に思い出したり、様々な方法で努力する。しかし、人の心には意識の世界だけではなく、無意識の世界もあり、簡単ではない。自分の努力は限界に達し、神に祈るだけという心境に。

 そんな中、突然、ひょっとしたことで知覚が変わり≪嫌い≫が≪好き≫に変わることがある。きっかけは何となく判るものの、それがどう無意識の世界に響いたか論理的には良く判らなかったりする。ただ、相手の中に、愛そのものの魂の存在を信じ、努力を続けなければ起こらなかったろう。恵みといってよいかもしれない。

 ≪好き≫、その反対の≪嫌い≫という感情。それは、自分のこころ(生育史)と身体というフィルターをとおして、愛そのものの魂が投影されているのだと考えると、成育史の外に身体の状態もあるかもしれない。

 感情の世界は不思議そのものである。

五感・体感を考える 9/10

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