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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

心が通い合わない、通い合う・・・(何で良い仕事ができるのか 9/10)

2011-01-08 | 第五章「和解と平和」

 幼稚園のT先生は優しい先生で、楽しく幼稚園に通った。そして6歳になり小学校に。

 このころ、幼馴染と小学校への登校時に、I君が道路に飛び出し交通事故に眼の前で遭遇したことがあった。何かしなければと子供ながらに考え、同じ幼友達のA君と一緒に学校に駆け付け、職員室に駆け込んだ。I先生が対応したが、子供なので上手く事情を説明できない。しばらくI先生が聴いていたが、何だか判らないということで教室に行きなさいという。私もA君も、無念の気持ちを胸に職員室を去った。

 結局I君はその後亡くなってしまった。

 昔から、上手く大人に自分が表現できないとき、噛みつくという癖があった(恥ずかしながら)。幼い行為ではあったが、小学校の担任の先生にも睨まれたりしたためか、ある日、その担任の先生に、クラスの皆が見る前で噛みついたことがあった。その先生には恨まれて、卒業するまで、いろいろイヤミをやられた記憶がある。

 自分へのもどかしさを、他人に投影する癖。そんなところが原点かもしれない。そして、噛みつくことで、ますます惨めになる。自分の一つの傾向が生まれる。

 そんな私の幼年期であるが、ある日、成功体験を経験する。

 日本と違って、言葉が全く通じない環境下に急に置かれたのだ。アラスカの小学校(ネイティブが多い分校であった)での体験だ。初めて、クラスに入って、先生と二人で向き合って話す。先生が一生懸命、英語で問いかけるが全く判らない。そのうち、先生が何を思ったのか、色紙を見せて、しきりに何かしゃべる。

 何か話さなくてはと思い。日本語で赤とか黄色とか答える。それがきっかけで心が通じ、クラスの仲間にも溶け込めることができた。傾聴とは、決して論理的な言語体系に依存するものではなく、感情に寄りそうものという、理論どおりの話でもあるが、大きな心が通い合う成功体験であった。

 日本語で言葉を発する時の、何とも言えない不安と、その後の安らぎ。自発性の原型といってよいかもしれない。この不安を打ち破り、行動に移す営みは、勿論成功することもあれば、惨めな失敗もある(こちらの方が多いかもしれないが)。

 そしてアラスカから日本に帰ってからの生活の激変の中で、文化的な違いから起こる、浮き上がってしまう経験もしたようだ。

 何で良い仕事ができるのか 9/10

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