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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

生態系とインターネット!(自分との和解 7/10)

2011-01-16 | 第五章「和解と平和」

 接眼レンズをつけて、様々なものを撮ると、いろいろなことに気づく。一番に気づくことは、微小なものの痛みというか傷である。当たり前であるが、普通にちょっと触ったりしても、微小な花などは傷ついてしまうようだ。

 もう一つ気づくのは、ミクロな世界と普通の世界も何か相似形を示しているというようなことである。そういうことが実感できるのである。普通に観る羊歯も、微小な部分が何か全体をも暗示しているようなところがある。

 さて、自分の成育史。特に13歳から22歳の≪忠誠心、アイデンティティ、自己混乱感≫が育つ青春期に想いを馳せてみよう。大学を卒業してから、係わった仕事は、28年間、コンピュータ業界(ヒューレット・パッカード)、4年間、介護・福祉業界、そして重なるところがあるが、社会教育(生き甲斐の心理学が大半)は10年くらいである。

 そして、何となく、この3つの要素は今の私の生活の中に存在している。

 今日は、一つ目のコンピュータについて考えてみよう。

 私の、コンピュータとの出会いは、やはり大学時代である。当時はコンピュータといえば大型コンピュータに代表させるもので、IBM社が代表格であった。カード穿孔機の並ぶ部屋でプログラムを打ち込んだりしたものである。しかし、私を一番驚かせたのは。ポケット電卓であった。当時は計算尺が主流。サイン・コサインなどは数表からいちいち拾って計算したものだ。それが、小さな電卓のボタン一つで答えがでる。学友がもってきた、hp35であった。

 大学の研究室でも、ミニコンピュータを使う機会が何回かあった。恐ろしいことに、そのミニコンの取り扱い説明書が無くなっており(研究室というのはそんなもので、私の論文も研究室が閉鎖される時に取りに行ったら紛失していた!)、先輩から掛け算のサブルーチンまで作らされたこともあった。DEC社のPDP11も使った。同じ世代のビルゲーツも使ったそうだが、才能の差か40年くらいすると、随分富の差も開く!

 コンピュータというか情報関係のツールの進歩は凄まじい。今でも、その進化は止まらないようである。電車の中の風景も、1970年代は新聞を読む人や雑誌を読む人を良く見かけたが、最近は皆携帯を見ている。情報革命は従来力をもっていた業界を確実に浸食しているようである。

 技術の進歩もあるが、インターネットの普及は驚異的であった。1980年代に村井純先生の講演(といっても、当時は先生も講師で、20人くらいの集まりであった)を聴いて、これからはインターネットだと思った。技術だけでなく、インターネットの思想が、情報の低廉化(例えば、世界中の情報が接続しているコンピュータを経由して、無償で情報を入手できる。サービス業者に支払わなければならないこともあるが、本来は無料)に拍車を掛けている。

 しかし、インターネット自体は、米国の国防筋が発案し作ったと思っていたが、その思想を遡ると、どうも1973年にイヴァン・イリイチの発表した≪コンヴィヴィアリティのための道具≫が重要な働きをしたらしい(信仰の美学 阿倍仲麻呂著 春風社 291ページ)。因みに、イヴァン・イリイチはオーストリア生まれの学者で、カトリックの司祭だったこともある(解放の神学でも有名)。そして、生態系、生体システム等で観られる自律共生の考えがベースになっているそうだ。

 蛇足ながら、≪コンヴィヴィアリティのための道具≫は絶版で異常なプレミアムがついて数万円でしか買えないので、まだ読むことができない。ただ、英語の原文(Tools for Conviviality)はインターネット上で無料で配布されていた(今でも入手できるかは確かめてないが)。しかたがないので、原文で時間をかけて読もうと思うが、まだできていない。

 インターネットは本当に革命的である。そして、それが、どのような社会を形成していくのだろうか?

 インターネットの普及の時代に不思議にも生を得てある程度係わり、暮らしている自分。どのように今後係わろうか?それは、自分の傾向と渇望のひとつなのであろうか?

 自分との和解 7/10

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