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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

強く逞しく・・・鍛えられること!(防衛機制を考える 6/15)

2011-01-25 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 拡大して写真が撮れる、接眼レンズをつけてカメラ付き携帯電話でとった。これは、洗濯もの干しの鎖をとったものである。

 大学を卒業して、就職し仕事に就く。ちょっと頭でっかちで、まだ厳しい社会で生き残れるか不安な新人は、昔は厳しく鍛え上げられたものだ。今考えると、自分の中のこころの防衛機制に関して、いろいろ気づかさせるような、こころのトレーニングも含まれていたように思う。まわりに自分のことを真面目に考えてくれた方が沢山いたなと、改めて感謝してしまう。

 さて、今日は合理化という防衛機制を考えてみたい。これは、自分の欠点を認めるのが苦痛なので、それを正統化して自分を納得させる事と、テキスト(生き甲斐の心理学)にある。

 入社して1年から2-3年までの時代、この合理化をいろいろ気づかされた。当時は国鉄のストを始め、交通機関が結構乱れた。電車が遅れ遅刻すると、上司に呼び出され、何故遅れたかという。電車が遅れ・・・というと、そんなことは始めから判っている。歩いてでも来るもんだと。

 ある時は、初めての営業であたふたしているときその上司に呼び出され、今日は何をしてたか?と聞かれる。A社に顔見せに行きました。というと、何をしているのか、顔見せなんかしないで、営業をしてこい。こんな感じである。

 顧客との様々なやりとりを経験してから、自分の合理化のこころの動きに気付くようになると、少し大人になるようだ。そして、自分の合理化をお客さんと一緒に笑えるようになると、営業マンとしても一人立ちするころなのだろう。

 しかし、自分がそのように育ったからと言って、他人も同じと考えてはいけない。生き甲斐の心理学を勉強すると、合理化が逆にこころを健全に保つような働きをすることも学ぶ。自分だってそうである。合理化をしているなと、うすうす気づいても、そのままにしてもらいたいこともある。人間はとても弱いものでもある。

 はがねのようにはいかない!

 こころの防衛機制を考える 6/15

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