イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不思議な光、自動販売機!・・・神秘を考える。(あなたとわたし 7/10)

2011-04-17 | 第八章「魂と聖霊」

 東日本大震災の影響で節電が叫ばれ、夜道の景色も随分変わった。その中で、やはり自動販売機が強烈である。不要なライトを消灯し、LEDのライトなのだろうか光が点滅している。とてもシュールである。売り物を表示するのではなく、ただ存在を誇示するだけの不思議な点滅・・・

 同じモノでも状況が変わると、変わる。そして解釈も様々に変わる。諸行無常!

 中国の文化革命の時、信号の色が問題になったという。赤を止まれでなく、進めと解釈すべきだという意見がでて、一時信号機が消えたという。

 生き甲斐の心理学を勉強すると、人が解釈する仕組みをいろいろ勉強する。解釈により、人はストレスを感じたり、逆に幸福になったりする存在からだ。こころの治療は解釈の再検討といってもよい。

 さて、今日の朝は、自分の信じる神についていろいろ想いを馳せた。ツイータのつぶやきに、考えさせられたからである。私の信じるカトリックの神は三位一体の神である。幼いころ母に連れられて、修道会に初めていったことを思い出す。そして、十字を切ったのだが、この時母も修道女も≪父と子と聖霊の御名によりアーメン≫と唱えた。カトリックの神は三位一体なのだ。しかし、この意味を真剣に考える人は意外に少ない。

 中学校までは教会に行っていたが、高校生になると、神を素直に信じることが出来なくなった。何か、重苦しく、遠くの神のように感じた。そして、大学を卒業してからは、不可知論者に近かったかもしれない。

 そして、中年のある時期、悩み多かったころ、NHKテレビの宗教の時間に、ある神学者が、キリスト教の神で聖霊を論じることが少ない・・・という話をくいいるように観たことを思い出す。その後不思議な体験を経てカトリックの神を信じるようになったが、恐らく自分の神の解釈が、変わった結果でもあろう。

 三位一体の神は、単純ではない。人間の限りある知力や認識では完璧には捉えられないという説が一番納得できる。そして、多くの文化(ケルトや南米、東洋)でも信仰されてきたという歴史があるのも、納得できる。単純に一神教というのはどうだろうか。恐らくそういうくくりではすり抜けてしまうだろう多様性を秘めているのだと思う。

 キリスト教ではこれから一週間、祈りの時である。そして、来週は復活祭となる。

あなたとわたし 7/10

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