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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

幸福とか、愛とか、ビッグワードとのお付き合い!(健康に生きる 1/10)

2011-04-21 | 第九章「愛」

 広い概念をもつキーワードをビッグワードというらしい。例えば、幸福とか愛とかは横綱級のビッグワードではないだろうか。こうした言葉は、以前サラリーマン時代を振り返れば、余り使わないのが常識だった。人によって捉え方が違うので、ヘンに使うと混乱を招きやすい。

 しかし、良く考えれば、日常のちまちましたスモールワードや、かなり狭い自分流のビックワードの中に住み続けて居ると、どうも人間のスケールが小さくなってしまうようだ(自戒をこめて)。

 青年のころに、愛とは何かとか、幸福とは何かとか、人生は何かなど、考えた同じ人間が40歳ころには、そんな言葉を使うことが気恥ずかしく感じられてしまう。それで、自分の自己実現は?などとセミナーの時に問われると、飼いならされたような平凡な目標モドキしか浮かばなくなる。

 これで良いのかというのが、当時の疑問であった。

 生き甲斐の心理学を勉強し始めたのは、50歳近くになってからであった。そして、不思議なことに、愛とか幸福とか、いろいろなビッグワードを生き甲斐の心理学は使い、それを楽しむ。

 ところが、例えば、生き甲斐の心理学で定義される愛などは、<各個人が愛と思うことが愛である>と一風変わっている。哲学的・神学的なカッコ良い定義では決してないので、面食らってしまう。

 ビッグワードを多様性そのもので捉える。それが流儀だ。

 では、その漠としたビッグワードを生き甲斐の心理学の学徒はどう扱おうとしているのだろうか?自分はどうか?

 例えば、幸福という言葉がある。これを、感情的に捉えるのが一つだろう。幸福感というと、より体感的な感情の世界が出てくる。それから、自分で考えられるロジック。幸福の構造・条件みたいなロジックの世界もある。これは、感情の世界からかけ離れ、真理の世界に近いかもしれない。ある意味で素晴らしい世界でもあるが。

 人間が身体と成育史と魂からなると仮定すると、幸福という捉え方も身体的、成育史的、魂的な捉え方もでてくる。美味しいものを食べる幸福感。それもある。例えば両親に刷り込まれた生き方から出てくる幸福感。そして、宗教的な幸福感というのもあるように思える。そして、これらは、幸福という世界でどこかで統合されるものだろうか?そんなことも考えてしまう。

 その他に、正常か病理かなど、いろいろな切り口がある。また、何かを信じて見える世界、見えなくなる世界もある。何か信仰を持つ人とそうでない人との差というのもあるように思える(どちらが良いかということではなく)。

 自分にとって幸福とは何か?不思議の国のアリスのように昔は戸惑ったが、今は生き甲斐の心理学を学びながら、その意外と科学的なフレームワークで考える楽しさを知り、ライフワークのようになりつつある。

 ビッグワードは生涯を通じてじっくり考えるに値する世界なのかもしれない。 

 健康に生きる 1/10

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