イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

チンパンジーとの遭遇にショック!(コミュニケーション 6/10)

2011-05-07 | 第九章「愛」

 昨年の秋に、多摩動物公園の年間パスポートを購入し、それから何回か動物園を訪れた。それは、良い面もあるが意外に悪い面もある。馴れてきて新鮮な驚きが減少するところがあるからである。勿論、動物は朝、昼、夕方。季節等によって変わるので(人間でも同じ)、飽きることはないが(今のところ)、チンパンジーはチンパンジーとしての自分の中のイメージが出来てしまうのだろうか。それが、何か新鮮な驚きを無くすことがあるのだろう。

 連休の初日に、新しく購入したカメラを持って、チンパンジーを写した。快晴でいつも撮れないチンパンジーの高所での活動など楽しくシャッターを切った。そして、ガラス越しではあるが、チンパンジーのそばで観察できる場所で、写真をいつものように撮ったが。快晴でエキサイトしていたのか、チンパンジーの一匹がガラスにぶつかるように近づいてきた。驚きの中撮ったのがこの写真である。次の写真をクリックして、スライドショウで見てくださいね。

2011-04-29 チンパンジー

 さて、ロジャースのパースナリティー理論( ロジャーズ全集 パースナリティ理論8 伊藤博訳 岩崎学術出版社 、生き甲斐の心理学 植村高雄著を参考)の3日目で、今日は、心理的不適応に関係する3つをあげてみたい。

13: ある場合には、行動は、象徴化されていない有機的な経験や要求から起こることもあるであろう。このような行動は、自己の構造と矛盾するであろうが、しかしこのような場合は、その行動はその人自身によって、自分のものとして認められ(owned)ないのである。

>この写真は、私にとってショックの時に撮影したもので、可愛いチンパンジーの挨拶の写真にもかかわらず、自分が撮った写真という感じがしない。プロセススケールでいうと低の時にとった写真なのだ。

14:心理的不適応は、有機体が、重要な感官的・内臓的経験を意識することを拒否し、したがって、そのような行動が象徴化されず、自己ゲシュタルトへと体制化されないときに存在する。この状況が存在するとき、基本的もしくは潜勢力的(potential)な心理的緊張がある。

>私の隣に居た方は、チンパンジーが挨拶に来たね。と言っていた。確かにそういう解釈も成り立つかもしれない。私も同じように、自分なりに、ある意味歪められた形でチンパンジーを理解し、心理的緊張から免れたようである。ガラス越しであったが、結構な緊張であった。

16:自己体制もしくは自己構造と矛盾対立するいかなる経験も、なんらかの脅威として知覚されるであろうし、このような知覚が多ければ多いほど自己構造は、それ自体を維持するように強固に体制化される。

>自分のこころの何処かに、所詮、チンパンジーはチンパンジーさといった意識がある。

 以上で、きょうのところは終えるが、この部分は人生で細かいこともいれれば、毎日遭遇することである。身近な家族、職場などで経験することである。

 昨晩、菅総理が、浜岡原子力発電所の停止を宣言した。これは、私にとってちょっとしたショックであった。節電というテーマが身近に迫っていて、電力供給量の増大が全てを解決すると、何処かで安心していたところがあったからである。しかし、一方で公共のことを考えれば、この菅総理の行動は私にとって理屈上100%正しい。

 自分の中に、二つの立場がある。理屈の世界と、当面の生活の世界。この矛盾は、自分の中の自問自答で解決が図られるべきであろう。不思議なことに、自分の中の矛盾は社会的にも投影されるがごときで、マスコミの反応などどうなるのだろうか、ちょっと楽しみ(不謹慎かもしれないが)である。

 それはともかく、自分なりに、のんびり自問自答し矛盾を解決していこう。明日は、心理的適応を中心に・・・

コミュニケーション 6/10

人気blogランキングへ・・1クリックで燃えます!感謝しています!!!