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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

集団の中で自分の問題と向きあう!(愛の舞台 9/10)

2011-05-30 | 第十章「今ここでの恩寵」

 2ケ月前のある会合で、原発の東電や政府の対応について心配し、熱く語り合った。その中で、Aさんがぽつりと言われた。「何故、現場では問題を察知していたはずなのに、こんなことになったのだろうか?」。

 そして、現在、原発問題の真の原因は何かという議論も出はじめているようだ。マスコミは、華々しい意思決定に焦点を当てがちだが、意外と地味なところを勇気をもって予防活動をしていれば、事態はこれほど酷くならなかったのではと思う(素人の戯言かもしれないが)。基本的には、先のAさんの発言が的を得ているのでは。

 この問題を、臨床心理学的に考えると、誰にでもある、眼の前の問題からいつのまにか逃げ出す傾向(不健全さ)が気になる。本人と問題の関係がへんなのである。

 こころの仕組みで、フロイトが発見した14の防衛機制がある。逃避して、その問題に眼をつぶったり、みんなで渡れば怖くないという同一化の防衛機制もある。甘えの構造は日本文化の特長とも言われているが、そういった傾向も深く絡んでいるのではと思う。

 さて、原発はとにかく、今ここでの自分の問題を考えてみた。自分の問題の関係がへんなケースだ。

 自分を取り巻く問題(理想と現実のギャップから生じる不安感を伴う)は、それこそ数え切れないくらいある。

 ただ、①何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分(身体、成育史、魂)を大事にしているか?以上の3つの問いに大きく関わる自己実現の問題から、日々生まれ消える瑣末な問題まで幅広いレンジがあるので。まずは、気になっている自己実現の問題に手をつける。

 人の心は、ある問題に関しては、大きく分けて3つのレベルがある。

 (底辺)問題を認識もしないし自分を変えようともしないというレベル

 (中辺)責任をとることが増大する。ただ自分を変化させる事を怖がるというレベル

 (高辺)問題を外部対象物として見なくなる。問題のある側面に生きているレベル

 そして、健康であれば、ある問題に対しても底辺から中辺、高辺に向かう方向に動いていく。、

 いつものことではあるが、「生き甲斐の心理学」の普及活動。どのような不安感があり、どう行動するか。原発ではないが、自分の問題を意識してみたい。

 愛の舞台 9/10

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