昨日は、A先生の太極拳・気功の講座で有意義な一日をいただいた。朝、遠足前ではないが、はじめはやや睡眠不足であったが、リラックスし心地よい疲れで終了。
全くの素人にもかかわらず、優しく指導していただき感謝である。ちょうど、生命40億年の歴史も2-3日勉強していたが、五禽戯でちょっと鳥になった気分や、気功で深海の魚になったり、自分自身をいろいろ体感した。
五感・体感は、この現代社会では、何か視覚や聴覚に傾きがちである。企業に勤めていた頃は、ビジネスはプレゼンテーション技術が叫ばれ、情報収集は五感の視覚と聴覚で80%という、まことしやかなデータが使われ、視覚、聴覚偏重の技術取得を心がけたものだ(笑)。
ただ、よく考えてみれば、五感・体感はそれぞれの特性をもち、簡単に比較・数値化できるものではない。例えばあかちゃんの授乳の様子を見ていると、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚すべて使って楽しんでいるようにも見える。この中で、どの五感が大切かなど判らないのでは?
太極拳や気功をA先生に習い、いつも感動するのは、自分の五感や体感(触覚や身体の内部の感覚なども)を総合的に大事にすることである。
40億年の歴史を知的に、分子進化論の立場から辿っていくのも良いが、一つの生命体として、五感・体感から自分の40億年の歴史的な心身を識ることは、もっと大切だと思う。
自分の身体は、40億年の歴史がある。想像できないが、酸素のない世界も経験し、当時有毒だった酸素の世界に適応し、当然のように水中で生きる。そして、陸へ上がり、空気を吸い、森林で指や手でしっかり生き抜き、何回かの氷河期を生き抜く。
ひょっとしたら、隕石の衝突で300メートルの津波を経験し宇宙からの放射線等最悪の環境の中でも生き抜いてきた。
自分の成育史を辿っても、溺れかけたことなど、生命の危機もあったが、意外と生き抜いてきたのは、こうした祖先の記憶が、自分をどこかで助けたかもしれない。
愛の記憶 3/10