長い人生の中で、大切な判断をする中で、どうしてこんな判断をしたのか、考え込んでしまうことがある。意識の世界もあるが、無意識の世界もあり、自分の大切な人生の分かれ道で自分のある傾向がもとで、意外な方向に行ってしまう(見方によれば、それは私らしい選択なのだが)。
一つは、大学を卒業して、就職するにあたり自分の選び方がへんだったのではと思うことがある。
さて、この10年を振り返って、経済的に安定していた大企業をやめ、生涯教育や福祉といった全く違う分野の仕事をするようになった。何で、生涯教育に。何で、福祉に。、そんな問いを何回も受けたが。よく考えると、幼い頃から培われてて育った、自分というもの(心理学の世界では自己概念といったりする)の方向性に合致しているので、自分で考えるとそれほど不思議でない。
逆に後から考えると、その周り道も大きな意味があると思うが、大学を卒業して就職したときが、少しへんだったようだ。
まあ、良いにしろ悪いにしろ、自分の方向性を決めていったのは、それなりの成育史があったと思う。今日は、極めて個人的な、その原型を探ってみよう。
仕事というのは、フロイトの防衛機制、補償にずいぶん影響されているようだ(自分の場合は)。その原型はなんであろう。いろいろ考えると、ひとつはアラスカの小学校に入ったときの経験が大きいようだ。
以前ブルグに書いたが、小学校の女教師との一連のやり取りが、かなり影響を与えたようだ。その出会いも貴重であったが、その別れも自分にとって大きな影響を与えたようだ。
50年以上前のことなので、よく分からないが、プロセススケールでこのことを考えると、自分の他人との関係の仕方や問題との関わりに影響を与えているように思う。時に、私の仕事のやりかたにネガティブな影響も与えていたようだ。
どんな経験も良いところもあれば、何かネガティブなことを引きずることもある(光と影がある)。すべての経験を中立的にたまにはのんびり見直すことは、新しい光を得る道のようだ。
愛の記憶 9/10