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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不得意分野を活かしていく方法<その1>(新鮮 5/10)

2011-06-25 | 第一章「意識と知覚」

 ストレスで病気になることもあるが、ストレスから思わぬ恩寵といってよいか、素晴らしいプレゼントをもらうこともある。新鮮に毎日を暮らす時には、こうしたストレスの効用(臨床心理的な知識)も知っていると人生がとても豊かになる。

 ストレスの効用。

 思い出すと沢山ある。特に生き甲斐の心理学を学んでからは、日常的にも。嫌いな人が好きになる。嫌な仕事が苦にならなくなる。不得意科目を克服して、試験に合格する。人生の節目で最適な判断をする。果ては神仏との出会いといったものも、そうかもしれない。・・・

 ストレスを大切なシグナルとして、その意味を柔軟に思索することも勿論大事であるが、生き甲斐の心理学で学ぶ臨床心理の知識、プロセス・スケールの知識と組み合わせるとますます活用できる。

 これから、何回か、ストレス+プロセススケールのお話をしてみたい。読者の皆様はできれば自分の事例で考えていただくき、知識を身につけていただければと思う(単なる他人の話として聞くより、数十倍の効果がある)。

 さて、≪不得意分野を活かす≫・・・私の典型的な事例を語ってみよう。

 わたしの父は理工系で建築の仕事をしていた。そして、幼い頃から私の家の隣に住む祖父も、理工系で建築の仕事をしていた。そんなことで、自分も理工系だと、いつのまにか思うようになった(これを自己概念という)。それは、良いこともあるが、悪いこともある。私の場合は、文科系の科目、特に国語が嫌いになってしまった。

 中学2年のときは、国語の時間に書道もあり、何とクラスでもひどい成績(最下位のほう)をとった。そして、中学3年になった。ところで、当時教育改革が盛んに論議され、公立の高校受験の科目が9科目から3科目になった。当然国語はその中に含まれ、自分にとっては1/9の重荷は1/3に変わり、気が重くなったものだ。

 不得意の国語。その不安の意識化が、3年生になってしばらくして出来てきた。今思うと、不得意の意識化だけでとても価値がある。もう、半分くらい問題は解けたかのようである。

 通常は、この意識化がなかなかできない。自己概念が邪魔したり、問題を置き換えたり、人のせいにしたり、いろいろである(フロイトの14の防衛機制)。その為、何も変わらないことになるのだ。

 ちょうど、夏休みになったころであった。一冊の国語の問題集を買ってきて、毎日少しずつ、のんびりであるが、やり始めた。当時、国語が何故嫌いかというと、ある文章の解釈を、A,B,C,Dの中から選べというようなものが多く。考えると、皆正しいように思われパニックになってしまうのであった。自分には所詮国語の能力がないのでは?

 しかし、問題集をやっていくうちに、問題を回答していくコツが判ってきて、国語に対する自分の体験の解釈が、コチコチの状態から自分の経験過程を感じつつ柔らかくなってくる(今、振り返って考えると、大学受験も含めて、ほとんどの試験は数学・国語なんでも暗記というかパターン認識的なものがほとんどであり、個人の能力もあるが、心理的な要素もとても大きかったように思われる)

 国語はダメ!から、なんとかできるのでは・・・へ体験の解釈が変わる。

 今は試験勉強など全く関係ない世界にいるが、 不得意分野を活かしていく方法はとても大事になっているように思う。例えば、原発の問題にたいすること。日々の人間関係・・・ちょっとしたところに、同じようなことが沢山あるように思う。

 新鮮 5/10

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