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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不得意分野を活かしていく方法<その3>(新鮮 7/10)

2011-06-27 | 第一章「意識と知覚」

 昨日の続きになるが、今日は、プロセススケールの七つの指標の一つ<自己の伝達>について思索してみたい。

 中学校3年の不得意分野国語への挑戦であるが、志望校の一つに、作文があった。あるテーマが出され、それに対して作文を決められた時間で書く。

 秋ごろから、その作文が気になり、時々、過去の問題等で実際に作文をしてみた。そのうちに、練習で日々、日記を書いて見ようという気になり、人に見せない日記を始めた。考えてみれば、国語嫌いの自分が半年も経たないうちに、自主的に日記を書き始めたのだ。

 日記を書く事は、自分の微妙は感覚や感情、思考などを表現することである。

 中学3年の秋から冬。日記に書いたことはなんだっただろう。当時の日記は大人になってから焼却してしまって、判らないが、すりガラスに映る朝日の美しさとか、幼い頃から共に暮らした秋田犬がフィラリアでなくなったこととか・・・いろいろ書いた。試験のときに課題がいのちということだったので、犬の死についてラッキーにも書けた。

 自己の内面を表現する。それは、倫理道徳のタテマエで書く事もあったが、それ以上深く、本当の自分に向き合うことであった。先日の模擬試験で国語の悪い成績をとったときの、微妙なこころのヒダ(無意識の領域か)の発見も、そんな中で感じたものかもしれない。

 因みに、<自己の伝達>では、低は自己伝達が欠けている。高は豊かな自己意識が望むがままに伝達されるである。きっと、当時の私は低から中に改善されたいたのだと思う。

 約一年を通し、国語嫌いの私は、国語に対するプロセススケールを低から中に改善し、高校入試を乗り越えることができたようだ。

 そして、両親や学校の先生に祝福され高校に入ったが、この中で成長しつつあった自己意識により、両親や学校の先生からいつも祝福されるだけではない個性をさらに形成していく。

 人の成長とは、そんなものである。

 さて、自己表現や自己主張は、多くの場合心の健全性に寄与するようだ。

 日々の不得意分野(嫌いなことなどを含む)で、一方的な主張はどうかとも思えることもあるが、例えば自他肯定になるような本音の主張は、自分も人も幸福にするように最近思う。

 8年前に会社をやめてから、いろいろな仕事を経験したが、きちっと主張することは、世の中(大げさな言葉だが、身近な人と置き換えてもよい)をよくするし、自分のここをも健全にする方法だと思う(勿論正常な現実吟味力を背景にして)。

(新鮮 7/10)

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