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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人生を前向きに決める<不一致>!(新鮮 8/10)

2011-06-28 | 第一章「意識と知覚」

 先日、町田の薬師池公園で花菖蒲やあじさい、そしてカワセミを楽しんだ。その写真を整理したりしていると、昨年と違う自分の変化に気がつく。動物(昆虫でもOKだが)に対する知覚の変化というのだろうか。確かに、写真を取る時も、熊ん蜂が花菖蒲に止まっている様を撮りたくて、追っかけていったものだ。

 この一年、動物園通いなどしているが、こころの深層には、どういう変化があっただろうか。動物園で動物を見るだけでなく、自分も鑑賞の対象かもしれない。

 さて、昨日まで、3回。不得意分野を活かして方法でストレスやプロセススケールの効用をお話してきた。お話の内容は過去のことであるが、結構、今ここの自分に関係があることなのである(自分の不一致を探るような・・・)。

 不一致について、この2-3日ロジャース全集の「サイコセラピーの過程」(伊藤博編訳、 岩崎学術出版)を読み直していたが、その中でプロセスセケールが低から高に変化する中で、不一致が観察しやすいと述べられている。まあ、古い殻を脱ぎ捨て新しく成るときの生みの苦しみなのだろうか。

 この10年を考えても、この大切な不一致を何回か乗り越えてきた。今意識に上がっているのは、3つくらいあるが、精査すればもっとあるだろう。そして、これからもあるのだろう。

 プロセススケールを勉強すると、この不一致等も大切にし、人生を豊かにする方法が見えてくる。自己事例を探し、理論武装することが大切だとU先生に教えていただいたが、実にそうである。

 私の事例をもう一つ紹介すると、それは車に関することである。小学校1年の時に目の前で幼なじみI君が交通事故でなくなった。その、こころの傷。それが、長く人生に影を落とした。人はそれぞれであり、自分のケースが他の人に当てはまるとは思えないが、それが癒されていく過程(プロセススケールでいえば低から高方向へ)で確実に不一致があったのだ。

 抑圧された感情が解消されていくと、防衛機制(例えば補償)で日々過ごしていたことが、意味を失って、より自然な方向に動き出すこともある。

 こころの傷で車が嫌いであったが、ある時極端にドライバーの仕事もしたことがある。それが、不自然だと意識に昇ってきて、知覚が変わり、好きなことと嫌いなことの磁場の関係が変わり、不一致が明確になった。

 ただ、新しい殻も所詮殻なのだろう。いずれは脱ぎ捨てることになるのだろう。

 個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界(world of experience)に存在する。(カールロジャース パースナリティ理論の19の命題より)

 この経験を少し似た概念、<知覚>と置き換えてみるともっと理解しやすい。

(新鮮 8/10)

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