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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不安を解消するために不安を探索する!(体験の解釈 2/10)

2011-07-02 | 第一章「意識と知覚」

 昨晩は、2歳の孫娘が久しぶりに家に来て楽しい時を過ごした。それは良かったのだが、夜、夜泣きをした。私も含めあやしたり、いろいろしても泣く。本人の生理的なことが原因なのか、何かの不安から泣いているようだが、よくわからない。

 孫娘に替れるわけでもないので、自分の幼かったころのことを考えた。寝られないことによる漠とした不安といったもの。しかし、あまりに幼いころのことで、記憶は消失している。ただ、中学生や高校のころに味わった、寝られない時の不安は、今でもなにか原型として、時として現実の世界に飛び込んでくるようだ。

 さて、本題に入ろう。日常の中でも、人の悩みを聴くことがある。例えば、Aさんからお話をのんびりとお聴きする。Aさんにとって気になるBさんの話題があり、Cさんの楽しい話題がでてきたり、そして、これからAさんの課題の話・・・

 その中で、いろいろな不安やその背後のAさんの理想や現実が垣間見られるようでもあり、また、表面的な会話の奥に何か基調になるような不安(理想と現実)が隠れているような気もしてくる。

 他人のことは、基本的に判らないが、生き甲斐の心理学を学んでいくと、不安感を大切することを学ぶ。そして、自分の不安を探求する。さらに、その不安が解消された自己事例などをいろいろ研究(理想と現実。考え方)してみると、現実の不安の処理も上手になるようである。

 小学校に入学してから、ちょっと登校拒否的になったことがある。

 今と違って学校は子供が溢れていて、ひとクラス60くらいだったし、廊下を歩いていても、走ってくる生徒に交通事故ではないがブツかることがよくあった。そんな小学校は私にとってワイルドに見えた。

 また、隣には祖父母の家があり、ちょっとした≪おぼっちゃま≫で、つまらないことに神経質になるところがあった。ある日、母が白いズックを買ってくれて、登校しようというとき。白いズックが目立って、何か言われるのではと心配になり、そんな私を父がしかり、今度は泣き顔で学校に行くと、周りから何か言われると泣いた。

 そんな、負のスパイラルに陥ったが、大丈夫だから行けということで、いやいや行った。結果は、ひとクラス60人くらいなワイルドな環境なので、だれも気にもしなかったので、私の心配(口実)はすべて徒労であったことに気づいた。

 自分の、本当の不安感がなんであったか、いろいろ面白いケースであるが、あまりに昔のことなので、記憶は消失し、実際はどうだったか。しかし、不安を解消していくケーススタディは、いろいろためになる。

 解釈が変わると世界が変わる。

体験の解釈 2/10

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