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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

疑惑感ではちゃめちゃになる前に!(体験の解釈 6/10)

2011-07-07 | 第一章「意識と知覚」

  疑惑感は、エリクソンの発達心理学でいうと、2-4歳のころに芽生えるとされる。

 そして疑惑感は、それが始まると、次々と疑惑を膨らましていくようなところがあるようだ。心理学ではよくギリシャ神話の例がでてくるが、ゼウスとその妻ヘラ(女神)の物語は有名である。好色で浮気もののゼウスに対して、嫉妬や疑惑していく女神(ただ、正確に見抜くことばかりだが)ヘラ。

 その中で、ゼウスがイオという女神官に恋いをするが、現場をヘラに見つかりそうになり、イオを雌牛に変身させてしまう。しかし、ヘラは何か怪しいと疑い、アルゴスという100眼の怪物をイオにつけて見晴らせる。

 その後、アルゴスは、ゼウスの子供のヘルメスによって殺されてしまうが、ヘラがアルゴスを哀れみ、その100個の眼を孔雀の羽にいれさせたという。

 24時間365日監視つづけるような疑惑感、あるいは嫉妬。

 日常の中でも、このアルゴスの眼のような疑惑感を意識することがあるが、このアルゴスの目玉が孔雀の羽のなかに飛び込んだという説は、なんとも楽しい。

 そして、疑惑感のスパイラルに入り込む前に、一呼吸、あるいは二呼吸するなどし、この疑惑感の意味を考える余裕があれば、何か一味違う行動ができるように思う。自他肯定的な行動とは何かなど落ち着いて考えると、もっとよいかもしれない。

 多摩動物公園で実際に孔雀も見物できる(放し飼いなので、いつも遭遇するとは限らないが)。孔雀はなんとも美しいが、スタスタあるいている姿(アルゴスの100の眼をつけながら)はどことなく親しみを覚えるものである。結構可愛い。

 私の経験では、疑惑の半分以上は的が外れており、多くは無駄そのもののような気がする(人生は短いので)。自分の自己実現に関係することなら大いに、疑惑の意味を考えてもよいが、そうでなければ、やめたほうが良いと自戒している。

 体験の解釈 6/10

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