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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

わたし自身にナル、過程!(リアルな経験 5/10)

2011-07-16 | 第一章「意識と知覚」

 エリクソンによると13才から22才は、忠誠心、アイデンティティ、自己混乱感が発達する時期とされている。中学校から高校、大学の時期であり、自分らしさを身につける時期のようだ。

 その中でドラマチックな事件や、心に残る心象といったものも沢山あるが、自分でも忘れがちな平凡な選択といったことが、その後の人生に意外に大切だったのかなと最近想うようになった。

 中学から高校進学の時期に、私のアイデンティティの原型形成に大切だった、選択があった。

 甘えん坊で、しゃきっとしない我が子を見て、私の父は、この子は全寮制の高校に入れたほうが良いと思ったのだ。父も高校は田舎の実家から下宿をし、大学時代まで寮で過ごし、その思い出も忘がたいようであった。そして、自分の息子も同じような体験をしたほうが、良いのではと思うのも自然だと思う。

 私も、父にいろいろ言われると、そんなものかなぁとも思ったが、何かピンとこないのも実感であった。

 そのうち、中学校の進路指導の時期となり、両親は担任の先生に、そうした学校への進学の可能性を打診したようだ。そして、ある日、中学の担任の先生から私に相談があると言われた。中学の担任のT先生は、なかなかの教育者で、私の本音を大切にするから、ホントの気持ちを教えてといわれた。その気持ちに沿って、必要なら両親を説得するとも。

 私は、全寮制の学校に行きたくないという本音を話した。今、その当時のことを考えると、私にとっては、友人関係や環境その他からして、全寮制の学校に入るというのは全くリアリティを欠いたものだったようだ。

 今、冷静に考えると、全寮制高校を選択したほうが良かったかもしれないとも思うが、選択の良さ悪さはともかく選択をしたということ、自分のリアリティを信じた経験はとても大切だった。

 Aを選択しても、Bを選択しても、周りの心優しい人は、ああだこうだと言うだろう。時には自他混同して、こちらも混乱することもあるかもしれない。しかし、自分のリアリティをどこかに感じて選択することは、最終的には人生を豊かにするのではと思う。決してドラマチックではないかもしれないけど。

 リアルな経験 5/10

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