イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

≪主張≫の原型をさぐってみる!(主張 2/10)

2011-07-23 | 第二章「五感と体感」

 先日も孫が来て、しばらく我が家に泊まり帰ったが、幼児といっても自己主張をする姿にいろいろ考えさせられた。

 まだ、言語化がうまくできないのだが、自分がしてもらったように他者に愛情を表現したり、反対に不快感を主張?するために激しく泣いたりする。

 いくら孫とはいえ、私にとっては他者であるので、さまざまな表現や主張は残念ながら推察でしか判らない。そこで、一番判りやすい、自分の主張の原型を幼児や子供のころに遡って考えてみた。何か主張することで、幸せになったり生きる上で良かった例。そんなことも。

 ロジャースのパースナリティ理論の中に命題3というものがある。

 命題3:有機体は、一つの体制化された全体(an organized whole)として、この現象の場に反応する。

 難しい表現ではあるが、生命体は現象の場で反応し、何かを主張するというふうに言い換えても良いかもしれない。

 そして、うまく主張することで、自己の本音を実現するケースもあれば、そうでないケースもあるようだ。

 私は7才のときにアラスカで暮らした経験がある。日本と違い、現地では学校や友達とは日本語が通じない。そういうハンディーの中であっても、何かを主張する必要はあった。そして、その主張(身振り手振り・・・)が受け入れられることもあった。クラスのひとりひとりが、かわりばんこに、自分の楽しい経験をスピーチしたが、私も言葉ができない中で表現したものだ。ドキドキする経験ではあったが、何かすがすがしかった。

 また、私の場合、一年くらいで日本に戻ったあとも、新たな環境になれるために結構苦労した。同じような主張をしてもアラスカで受けられ、日本では受け入れられなかったり(立たされたりも)・・・そんな文化の差も経験した。

 さて、昨日の強訴の話ではないが、主張するにも健全な主張もあるが、何かちょっと病的な主張もあるように思える。自分の場合どうだったか・・・そんなことをこれから考えてみたい。

主張 2/10

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