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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

いのちがけで健全に主張する!(主張 3/10)

2011-07-24 | 第二章「五感と体感」

 昨日は親戚の結婚式があった。その際、タクシーで赤坂見附を通ったが、赤坂見附の通りから日比谷高校が見えた。新しく立て替えた校舎がみえたが、懐かしかった。

 先日、ツイターで一年上の内田樹さんが、私と同期のFさんに40数年ぶりであったというつぶやきがあった。如蘭会館で別れて以来ということであった。当時は東大が学園紛争で入試中止になったり、多くの高校でも紛争があったりした。日比谷高校も例外ではなく、如蘭会館が真っ先に封鎖され、私の学友なども参加し、様々な主張が繰り広げられた。

 今の時代は当時と比べると全く違うが、危機感という点で似ている(危機感は意外とこころを健全にするところもある)。

 さて、他人はともかく、自分も、高校生の時は、何か自分のアイデンティティを模索していた(何のために生きるとか・・・)。しかしながら、紛争には、何かピンとこなかったし、また、受験して頑張るという意味でも、どこかピンと来ないでいた。しかし、現象の場が変わるなかで、人は反応し表現したり主張したりする。自分もそれなりに主張し反応してきた(受験し、モラトリアム的大学生となり、社会人となり・・・)。

 はなしは変わるが、最近、吉川英治の新・平家物語を少しずつ読んでいる。そして、本当にわくわくしながら読んでいるが、清盛が、強訴で日吉山王の神輿を持ち出し、比叡山から押し寄せる大勢の僧兵に、たった3人で対峙するシーンがある。そして、清盛がかっこいい口上を述べ、えいやと神輿に矢を放ちそれが命中する。そんなことをすれば、血反吐を履いて死ぬといわれていたにもかかわらずである。常識や囚われの中に生きるのは今も昔も同じだが、その中で光る行為である。

 その清盛も、あるときは、大切な約束を破ってまでも、親子の狐を憐れみ、狩りを断念する、≪ものの憐れ≫の持ち主でもある。思わず、うっとりしてしまう。

 清盛は実にアイデンティティの統合度や現実吟味力、そしてこのテーマである、健全な主張の持ち主でもある。

 私も、青年時代はとうに過ぎているが、この複雑な現象の中で、清盛とまではいかないが、身の丈にあった主張をしていきたいものだ。

主張 3/10 

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