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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

国難を体感することで違ってくる!(主張 7/10)

2011-07-28 | 第二章「五感と体感」

 地デジになって、テレビの迫力が増した。画素が細かくなり微妙な違いが判る。国会中継などを見ても、単なる言葉のやりとりではなく、言外の何かが伝わってくるように思う。

 今はずいぶん人気が無いが、大震災の直後の菅首相の演説は、地デジ放送でとても印象的であった。「国難」という言葉が出てきたが、そのときは胸をうつ何かがあった。

 あれから4箇月以上経ったが、放射能汚染の問題など国難は継続している。知人のある活動家は東京を去り福島県に敢えて本部を置くなど、本腰の対応をされている方もでてきている。

 そんな中ではあるが、「なでしこジャパン」が世界一になった。男性のサッカーはあれだけ人気があるにもかかわらず、ちょっと前は女性サッカーはその存在すらおぼつかない人もいたほどであった。それが、このタイミングで優勝した。この時期に日本の女性の活躍!

 女性の活躍は実に今に始まったわけではない。そもそも日本の原型が完成したのは大宝律令(701年)の頃ではないかと私は思っている。律令体制ができ、年号が日本の津々浦々で使い始められ、ワンマン政治ではなく、官僚体制で国が運営され始める。そして、その時代も女性が大活躍したのだ。

 そのときの天皇は文武天皇だが、上皇に実力者、持統天皇(女帝)がいたのである(藤原不比等も持統天皇に認められ、補佐役として力を伸ばしていた)。

 意外に知られていないのだが、持統天皇は、本当の国難の現場を生き抜いた政治家である。

 645年 大化の改新(乙巳の変)の年に生まれる。父は天智天皇、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘である。祖母は     やはり当時の女帝、皇極天皇(斉明天皇)である。

 657年(12歳) 大海人皇子(後の天武天皇)と結婚

 662年(17歳) 斉明天皇の下、新羅・唐との戦い(百済支援)に従軍。翌年従軍中に草壁皇子を出産

 663年(18歳) 白村江で敗戦(唐・新羅に日本が襲われることを、この時代もっとも警戒し、戦略的な理由で大津京に遷都したり、沢山の城を日本中につくったりした。

 672年(27歳) 壬申の乱に。大海人皇子(後の天武天皇)とともに吉野を発つ。

 673年(28歳) 壬申の乱で勝利。天武天皇即位

 686年(42歳) 天武天皇崩御。大津皇子謀反あらわる

 687年(43歳) 持統元年

 689年(45歳) 藤原不比等、この年初めて史上に

 697年(53歳) 文武天皇即位 持統上皇

 701年(57歳) 大宝律令施行を布告。遣唐使任命。持統吉野に幸す

 702年(58歳) 持統天皇崩御

 これはおよそ1300年前のことであるが、危機をバネに生き抜いている実力派の女性の姿が、何となく理解できる。

 そして、なでしこジャパンではないが、自分たちも時代の体感をしっかり経験するなかで、今迄見えにくかった何かを現実化しはじめる絶好の時なのかもしれないと思ったりする。

主張 7/10

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