イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

罪悪感がプラスに変わる時!(主張 8/10)

2011-07-29 | 第二章「五感と体感」

 最近は歴史の系図を毎日欠かさず見るようになった。系図には、人とひとの関わり、特定の人の人生が何か圧縮され、DNA情報のように、様々なことを語ってくれるように思う。

 白河上皇と鳥羽上皇の確執となり、保元の乱の遠因となった待賢門院(鳥羽上皇の妻であり、祖父・白河上皇の実質的な妻で崇徳天皇の実母)が、とりあえず鳥羽上皇の妻として系図に記載されていたりする。

 あるいは、昨日も述べた持統天皇の関係では、藤原不比等は系図には直接でてこないが、根強い噂では、天智天皇の子供であり、持統天皇の異母兄弟となる。そんなことを想像したり、当時の複雑な人間関係(兄弟をはじめ)に想いを寄せたりする。

 還暦を迎えた私であるが、こうした系図をみることで、仏教でいう業、キリスト教でいう罪をいろいろ考えてしまう。勿論、系図からのパワー(生きる力)も感じるが・・・

 持統天皇も、幼い頃に実父である天智天皇(当時は中大兄皇子)が祖父(蘇我倉山田石川麻呂)を謀殺し、それゆえに実母がショックのあまり亡くなるという悲劇もあった。そういう生育史がある中で、幼いころから同母兄弟で従軍まで一緒だった太田皇女の子供である大津皇子を実子・草壁皇子ゆえに謀殺する。また、壬申の乱で天智天皇の子供である大友皇子で戦う。

 また、父天智天皇をめぐる人間関係、親戚関係も本当にやっかいな関係で、その中で生き抜くのはたいへんである。

 持統天皇はどのように自らの業や罪悪感と戦い、政治家としても大成していくのだろうか(当時としては長寿の58才、そして大宝律令の完成)。

 現場を知る有能な政治家であったが、きちっとした人間観・宗教観・信仰(何かはよくわからないが)も合せ持っていたと思う。そうでなければ、精神的に動揺せず、長寿をまっとうできそうにない。

 飛鳥には、天武・持統天皇陵がある。そして、この御陵は中世に盗掘があり、そのときの記録が残っていて、天武・持統天皇の御陵であることが確かめられている数少ない御陵のひとつなのである。中世の記録によると、天武天皇が伝統的に土葬されていたのに対し、持統天皇は日本で初めて火葬にされ骨壷に入っていたそうだ。

 晩年の持統天皇が吉野に何回も行幸するのも不思議である。道教や神仙思想との関わりはあったのだろうか。

 日本の原型が出来た当時は、伊勢神宮や仏教寺院(薬師時等)との関わりもホットだった。

 政治家としての公的な行動の影で、私的な自らの罪悪感とどう対峙されたのだろうか。

  私個人の経験からしても、生きることは罪悪感を積み重ねるところがある(母がカトリックで私も幼児洗礼だったので、幼い頃から罪を意識化しやすかったかもしれないが)。その中で、イキイキと生きるのが可能なのは、心理学の世界ではなく、贖罪の宗教であるカトリックの信仰だと思う。

 これからも、しばらく系図の旅は続きそうである。

主張 8/10

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