イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不安を観る:私の放射能汚染不安!(不安を観る 4/10)

2011-09-23 | 第四章「愛とゆるし」

 自分の感情を把握するのは結構難しい作業のようだ。私は生き甲斐の心理学をU先生を師として勉強してきたが、最初の2-3年は本当にどこまで判っていたか恥ずかしくなる。独断と偏見かもしれないが、感情を頭で理解する人は多いが、実際に沸き上がる感情に関心を持つ人(様々な感情を楽しむ人)は、かつての私と同様に少数派である。感情の不思議さを理解し、それを楽しむまでには結構時間がかかる(私の生涯の課題でもある)。

 「生き甲斐の心理学」は世界的な心理療法等の知識が満載で(比較宗教学を通じて、日本の文化も随分研究しているが)、深く理解するためにはプロの心理療法家やカウンセラーの修行と同じような修行が必要なようだ。もちろん浅く理解しても、とても役立つものであるが、深く知ればしるほど、多くの恩恵に預かる。

 さて、放射能汚染問題での不安を、今回シリーズで、他人は判らないので自分を実験台にして解析し、それを乗り越えて行こうと考えているのだが、昨日から実際に沸き起こる不安をいろいろ思索してきた。

 放射能汚染に関する雑誌をこの2-3日読んでいる(新平家物語やFACEBOOKと並行してであるが(笑))。そして、家族ともその話題について話した。真剣な議論もあった。

 その中で沸き上がる感情のスペクトラムは2種類かなと実感した(福島第一原発の放射能線のスペクトラム解析も知りたいことではあるか。)

 一つは、あーあ、放射能汚染の現実を抱えているんだ・・・という、悲しみ?の感情だろうか。これをA感情とする。実は、今日朝に、ふと感じたものだ。

 もう一つは、これを純粋な感情といって良いか判らないが、他者との関係で生じる感情である。「やはり、牛乳は産地に注意しないと?」。「そんなこといっても、近くに売ってないし・・・」。こんな家人とのやりとりが象徴的である。これは、防衛機制の感情転移とか逆感情転移とか・・・まあ、自他混合の中での感情のもつれ、防衛機制といったほうが判る(やつあたりなどもある)、そんな性格の感情(二次的な?)である。これをB感情とする。

 今日はA感情について少し語りたい。

 たまたま、今朝大震災の中生き抜いている難病ALSを抱えている方の放映があった。大震災の中、さらにハンディを背負う方の大変を知った。私も実は、福祉・介護業界で働き、頚椎損傷の方の介助とか認知症の方の介護を少しは経験した。

 その中で学んだのは、そういったハンディの中でも、健常者以上に明るく活躍されているかたも存在するという事実である。これは私にとって驚異であった。本当に、様々なことは解釈一つで世界が変わると実感した。

 放射能汚染は、日本全体を大なり小なり一つのハンディの世界に導いた。どの位の期間、このハンディは続くのだろう。50年・・・100年・・・すくなくとも、自分が死を迎えるまでは何らかの影響はあるに違いない。そして、何らかの形で共に生きるのだと思う。でも、これはマイナス面だけでなく、生活の質を上げるようなことも解釈一つであるのだろう。

 如何にA感情を受容し、生き抜いていくか。これからが楽しみでもある。

(なお、今回の「不安を観る」は「生き甲斐の心理学」(植村高雄著)の系統図を参照していますので、是非参考にしてください。)

不安を観る 4/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています。