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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

滝は女神か!自分と他者の間の美 (不安を観る 6/10)

2011-09-25 | 第四章「愛とゆるし」

 ちょうど、一年前に福島に小旅行をした。一番印象的だったのは、猪苗代湖の近くの滝沢不動尊の滝を観たことである。こぬか雨が降るなか、誰もいない深い森の中で滝を観たのは凄かった。今はどうなっているのかなと、ちょっと心配でもある。

 今年は、台風の関係で、紀伊半島でも甚大な被害があるという。何年か前に訪れた、熊野や那智の滝などどうなったのだろうか。これも心配である。紀の国は、瀬戸内海にゆかりの多い私の祖先をたどると関係が出てくるようで、何か私の血が騒ぐ土地でもある。

 さて、滝つながりの思い出の中、今朝はたまたま新平家物語(吉川英治)を読んでいたら、那智の滝の前で、20歳の義経が母をおもうシーンにぶつかった。少し引用してみたい(新平家物語6 吉川英治歴史小説文庫 61P 講談社)

 女神が、滝か。滝は女神か。

 かれはもう、自然と人間の区別をもっていない。自然の愛に抱かれ、自然の中に甘えきって、

ただ静かに呼吸している小さな生き物でしかなかった。

「―母君」

卒然と、どこからか、こみ上げてきたらしい。

滝にむかって、とつぜん、かれは呼んだ。

「母君。・・・・おかあさま」

・・・10行略・・・

濡れた面を、ふと上げた。その眸は、狂者のものに近い。気が狂うほど、かれは淋しいらしい。

世に孤独な子も多いが、かれほど孤独な宿命もまれである。

 自分の娘と孫を見ていると、本当に母子の一体感というのが伝わってくる。人のこころの流れには、実に美しい自他混合・自他統合感というものがあるんだなと感動する。ただ、幼児も成長していけば、独立した個体として、自他混合の世界にずっと住むわけにもいかない。

 いくら親子であっても、自分は自分。と、どこかで割り切り、自分を客観視できるようになってくる。

 一昨日のブログにかかせていただいた、放射能汚染に関する不安のうちのB感情。これは、この義経の揺れ動く感情というか、感情転移や投影の防衛機制の問題と重なるようである。

 本人にとっては悩ましいものであるが、ある意味で美しい世界なのかもしれない。

 自分の娘や孫への心配や葛藤。それを、考える時、やはり大切なのは、今自分はへんなのだという感覚を持つこと。防衛機制をしているなと意識することではないだろうか。それにより、かなり混乱が軽減されると思う。カウンセラーや心理療法家もこの感情転移の問題で悩むが、人であれば皆、意識するか否かは別に日常の生活で悩むのが感情転移の問題である。

 しかし、このこころの仕組みがあるからこそ、どれだけ人は豊かにいきることができるのだろう。信仰の世界など、こうした人間の心の仕組みがあればこそだ。感謝である。

 不安を観る 6/10

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