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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こどもを理解して!でも、大変なのも判る!(受容の不思議 7/10)

2011-10-16 | 第四章「愛とゆるし」

 自分が子供のころの昔の記憶は、普段は意識しないものである。まして、自分の今現在の思考・感情・行動の根に、子供のころの、様々な出来事とその子供なりの解釈が大きな影響を与えるなんて、理屈で分かっても実感できないものだ。

 そんな私であったが、10年以上「生き甲斐の心理学」を学んでいると、ひしひしと子供の時期の大切さを実感するようになる。それと共に、子供の見方が変わってくる。

 さて、私にも孫が生まれ、時々家にくるようになった。2歳を過ぎ猛烈に言葉を話したり、覚えたりするようになってきた。また、興味や関心もはっきりしてきて、それが行動に結びついてくる。微笑ましいが、一方母親には大変になってくるのが良く判る。

 そんな中、孫の行動を人格形成理論を加味して理解しようとすると、新しい発見が生まれる。

 孫を先日動物園に連れていったのだが、乳母車で見学するだけが、どうも歩くことに特別の関心をしめすようになってきたようだ。乳母車を降りて結構歩く。

 さらに、階段を昇り降りするっことに特別な意味を見つけたようで、動物園の中のちょっとした階段を上がったり下がったり、いつまでも繰り返す。

 動物にも興味があるが、階段を昇り降りすることが一番関心がある。滑り台で遊んでも、滑り台を昇ってからスロープで滑る替わりに、もと来た急な階段を降りる。

 これは何だろう。ロージャースの19の命題(人格形成理論)が身についた癖になってくると。例えば、次のように注意して考える。

 ①階段を昇り降りする理由は、本人しか判らない。それをより理解するには、本人の中にある理路を探る(学ぶ)しかない(2歳の子供でも、誰でも理路があるものだ。)。大人だからといって、理由を100%判っていると思うのは錯覚である。

 ②階段の昇り降りをやめて、動物を見に行こうよ誘っても、嫌だという。その情動の強さにも意味がある。

 どうも、階段を昇り降りすること自体が楽しいようだ。大人でも、新しい経験自体を楽しむことがある。私の場合でも先日ガイガーカウンターを買ったが、一日はかり続けていた。それに似ているのだろうか。

 2歳の孫も還暦のお祖父さんも同じようだ。絵に書いた理念ではなく、人の尊厳を具体的に考えても(例えば、人の身体は神の神殿のような思想)、差はないようだ。

 しかし、母親は大変だ。こどもを愛しながら、この浮世をしっかり生きぬかなければならない(自分も子供も)、そして、ある時は子供を無理やり・・・・。子供はまだ、判断力等恵まれていない、そんな子供も、時には訳の判らない中、ひどい目に出会いながら、生き抜いていく。

 赤ずきんちゃん、気おつけてね!

受容の不思議 7/10

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