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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の感情は「かなしみ」のようだ!(愛 2/10)

2012-03-09 | 第九章「愛」

 昨日は不思議な日であった。たまたま図書館で目に入った佐藤優氏の「インテリジェンス人間論」を借りて、電車の中で読み、仕事が終わってから深夜、一服してテレビを見ていたら、丁度NHKスペシャルの再放送が流れていた。

 東日本大震災からもうじき一年たつが、その大きな傷は簡単には消えない、そうした報道番組であったが、中でもかけがいの無い幼子や母を亡くした女性が、残された父と一緒に亡くなった子供の誕生日を祝う場面では、思わず涙がでた。

 昨年は家族団らんで楽しく迎えた誕生日。それが、父と娘さんだけで不在のわが子の誕生日を祝う。そして、その時の会話は、なんと切なく、また親子の情があり希望もあり奥が深かったか・・・

 佐藤優さんの本の文庫版あとがきを、先読みしていたら、聖パウロのコリントの信徒への手紙1(13-4~7)を元琉球大学教授の半田一郎先生と琉球語で訳した一節が載っていた。琉球語は古代の日本語(奈良時代など)と共通の部分が多いらしいが、愛という言葉はなくカナシャにそうとうするらしい。

 実際、『広辞苑』で「かなしい」を引くと「悲しい・哀しい・愛しい」という漢字が充てられ、「自分の力ではとうてい及ばないと感じる切なさをいう語。悲哀にも愛隣にも感情の切ないことをいう」(インテリジェンス人間論 佐藤優著 新潮文庫333ページ)

 確かに、このNHKスペシャルの場面では、悲しい・哀しいも当然だが、愛隣の愛しいもある。

 この感情は古代から表現されている。祖先たちも同じようなかなしみを味わったからだろう。

 愛 2/10

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