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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

『おまえは橋の下で拾ってきた』は愛の教育か?(愛 7/10)

2012-03-14 | 第九章「愛」

 最近、あるグリム童話の読書会に参加しているが、童話の奥深さにひたすら感心している。

 童話といっても、由緒ある童話の起源は随分古いものもあるようだ。有名な白雪姫は、世界各国に同様の構造の物語が残っている。日本では落窪物語とか。ひょっとしたら数万年とかの歴史があるかもしれない。祖先たちは愛すべき子孫に、命がけで何かを伝達しようとし、それが世界に広がった。

 もちろん、そうした原ストーリーは、言語がどんどん変化するように、各地で変わっていった部分もあるが、その中には変わらない部分もある。

 さて、「生き甲斐の心理学」でこころに関する知恵を、世の中に普及しようとしているが、その中の課題の一つに感情をどう理解してもらうかがある。論理的な思考とか単純な知識は、効果測定も簡単だし教育方法も確立されているようだが、感情はどうか?

 知識や論理力の教育が科学技術の発達に大きな貢献をしたのは事実だと思う。ただ、より人間に密着し真実を伝える働きをする感情はどうだろうか?今回の起こらないはずの原発事故は何故起こったのだろうか?誰にも備わっている、生命の不思議なセンサー・感情を無視したためではないか?

 グリム童話を読んでいると、恐怖と安堵、錯乱と統御感、鬱と幸福感など感情の微妙なスイッチングを起こすようなストーリになっていることに感動する。ストーリ自体も何らかの社会的価値があるだろうが、感情の流れを考えるとそれ以上に教育的なものを感じる。そして、日常では得難い感情の経験をし、生き抜く知恵がはぐくまれるのではないか。

 ちなみに、幼いころに両親から聴かされる、『おまえは橋の下で拾ってきた・・・』(そのバリエーションもたくさんあるが)話も、感情を考えると見えてくる世界がある。もとは、やさしく錯乱と統御感(両親の愛)を経験させるためだったのではないか。その中で、錯乱と統御感という異質とも思えるものが、実は同じであり、錯乱は統御感へのマイルストーンであることを識る。

 愛 7/10

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