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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分を大事にするための歴史のお勉強!(個性の美 8/10)

2012-04-17 | 第十章「今ここでの恩寵」

 歴史のお勉強というと、もう小学校のころから始まるようだ。中学校や高校になるとさらに学ぶ。

 しかし、何か馴染み深くない他人事のようなところが私にはあった。昔の出来事について、温故知新で今の世の中に役立てたい。我々日本人としてのアイデンティティを作る。そんな読み方もあるが、何か大事なことが抜けているのか、興味がここひとつ湧かない。

 さて、昨日「生き甲斐の心理学」のU先生の放送で、「自分を大切にする」という番組がネット上に掲載されていた。日本ではたくさんの人が自死を選ぶ。確かに、自分の狭いエゴについては、幼いころから嫌というほど言われたり叱られたり、時には自問自答で苦しんだりする。そんなことで自死を選ぶ人もいるのだろう。そして、「自分を大切にする」という言葉でさえ、何かセルフィッシュな感覚があったりする。

 しかし、番組の中のシカゴ大学の心理学の教授は、自分を大切にすることは、①自分の魂を大切にすること。②自分の歴史(生育史)を大切にすること。③自分の身体を大切にするというふうに解釈している。通常の自分を大切にするという感覚と一味ちがう。

 「生き甲斐の心理学」では、こういう自分を大切にする思考をするので、私もいつの間にか身に着けてきたようで、歴史に関しても別の観点で観るようになってきた。それは、いつの時代も自分の祖先は、その時代の中の何処かに生きていて、華やかな歴史上の人物と自分は繋がっているかわからないが、歴史の現象に自分は繋がっている・・・それを自分はたまたま知らないだけだという感覚になってくるのである。

 実際に、たとえば今私が読んでいる新平家物語。丁度平清盛が亡くなる1181年ころだが、831年前である。これを一世代を30年と仮定してみると約28世代前となる。自分の系図は、男親の一本の流れであるが、28世代というと、2の28乗なので理論的には当時の日本の人口をはるかに上回るあり得ない沢山の祖先がいることになる。でも、当時の記録のどこかに自分の祖先が登場する確率は極めて高いと言ってよいだろう。

 平清盛の死に、自分の祖先たちはどのように向き合ったか。実感をもって考えることができる。さらに、当時のたくさんの祖先たちの一人でも、生きていなければ自分の今が無いと考えてみると不思議である。命を大切にする意味が少し見えてくる。

 個性の美 8/10

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