イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

宇宙を感じて我にもどる!(のんびり暮らす 7/10)

2012-07-10 | 第三章「無意識の世界」

 めまぐるしく変化する中で、誰でも自他混同・理想と現実の混同の傾向が出て、我を失う経験がおありだと思う。私も強烈な経験を何回もしている。そして、不思議にも逆に同じ数だけ我を取り戻している。「生き甲斐の心理学」を勉強する前は、そうした経験を意識して検討することはなく、本来は貴重な我を取り戻すノウハウも意識化せず忘れてしまっていたようだ。

 今日は、そうした経験の中から、天体現象から我を取り戻すことを、のんびり考えている。

 青年期の私を思い出すと、高校から大学にかけて学園紛争の混乱の時期と重なる。そんな中、カトリック教会からも離れ、高校も学園紛争で、入学時の雰囲気と卒業時の雰囲気は180度異なることも経験したりした。すべては変化し空しい。そんな中で生きる希望もはっきりしないようだった。勿論日々変化するものの、全体的には我を失くしている不健康な状態だったようだ。

 そして、ある早朝に目覚めて、窓を開けると風でみるみる流れる雲の合間に、美しい夜明けの明星が見えた。明星は瞬きのない、しっかりした光で燦然と輝きどっしりしていた。それを観たときに、感動の涙が出たのを今でも覚えている。勿論畏れ多くも空海のように大悟したわけではなかろうが、その時体感的に何かを掴んだようだ。それ以降、希望が湧いてきたのだ。

 ロジャースの命題1.「個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する。」を夜明けの明星で実感し、我を取り戻したのだろう。

 現代もそうだが、学友と一緒に勉強している持統天皇の時代の強烈な権力闘争。テレビの大河ドラマの平家物語の世界。どうも人類は、いつでもどこでも強烈な混乱の中で蠢き、我を取り戻し生き抜くことは大変なようだ。

 さて、最近さらに、冬至、春分、夏至、秋分、などは暦と絡めての実利的な意味の外、精神的にも安定感をもたらす特別な意味があったことをあらためて感じ入っている。世界に存在するストーンヘンジ(日本も東北の大湯が有名)、そして内田一成氏の「レイライン ハンター」(アールズ出版)で知った「ご来光の道」もそうなのだろう。

 ご来光の道は、春分の日に太陽が通る東西をよぎる道で、日本の聖地である、富士山、元伊勢、大山、出雲大社などを突っ切るのだ。こうした道は、当然ほかにもあり、例えば淡路島の伊弉諾神社は、冬至、春分、夏至、秋分の太陽の方角に諏訪大社なども含めた聖地がきらめくほどあるので知られている。

 最後にちょっとトピックス。今日の写真は多摩動物公園のコアラ館で、夜行性の有袋類の展示場である。昨日は、孫と久しぶりに(二か月ぶりくらいか)動物園に行った。そして、今回は孫の希望を多く取り入れて回ったが、孫の希望の中に天上に夜空のような星が見える夜行性の有袋類の展示場があった。勿論、動物そのものも子供は好きであるが、チータ舎の前の階段(上り下りが面白いらしい)とか、この星空の天井とか、個性からユニークなスポットがあるようだ。ひょっとしたら、命題1を感じる場所かもしれない(笑)。

 のんびり暮らす 7/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています。