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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

男の神様と女神様たち・・・受容性を考える!(ゆるし 7/10)

2012-08-20 | 第四章「愛とゆるし」
 この夏は、持統天皇のことを考えるつもりであったが、いつの間にか大国主の命をはじめ出雲のことで頭がいっぱいになってしまった。
 
 世の中、自分の知らない間に、どんどん新しい真実が現れ変わっていく。弥生時代も紀元前300年くらいからと思っていた常識が今では紀元前1000年からとなってしまった。そして、出雲周辺から神話を裏付けするような考古学上の発見の数々(弥生時代)。日本の文化の原型を求める旅は大忙しになってきてしまう。

 さて、先日訪れた出雲大社。大国主の命の話を読んでいくと、出雲大社は大国主の命とスセリ姫が祀られていることが明記されているのを知る。それはともかく、大国主の命は正妻がスセリ姫なのだが、因幡の白ウサギに登場するヤガミ姫、越の国のヌナカワ姫をはじめ何人かの妻があり、スセリ姫は嫉妬に苦しんだようだ。

 しかし、そうした複雑な関係の中でも、大国主の命やスセリ姫の歌われた歌は実に美しい。暗い嫉妬などの感情がみごとに昇華されている。

 「生き甲斐の心理学」や臨床心理学では、「共感」も大事にするが「受容」ということも大事にする。自分と違う他者を認める(同意ではなく、その立場の大変さを理解する)。また、こうであるべき自分で頭がいっぱいで苦しむ時に、今ここの自分をいったん認める(自分を離れて自分の大変さを見るというような)。そんな概念である。

 ちょうど、出雲を中心に古代の文化を今勉強しているが、日本には三種の神器で大切にされている鏡がある。出雲にも、卑弥呼が親魏倭王の金印と一緒にもらったという貴重な鏡の一枚が発掘されている。日本文化には縄文時代からか、鏡への特別な固執があるようで、ありのままを映すということに大きな意味を感じているようだ。テキスト「生き甲斐の心理学」では鏡という喩え出てこないが、傾聴などの話を聴いていると、時々鏡のイメージを出す方がいらっしゃるようだ。クライアントの発言を否定しないで、淡々とありのままを聴き応える。そして、その中で、相手の方が自分の姿をのんびり見るように、自分の立ち位置を確かめられるようなことのようだ。

 最後に、ちょっと長いが、スセリ姫の大国主の命の旅立ちへの歌を以下に挙げる。数千年の前のわが祖先に、このような美しい歌があったとは・・・

 ヤチホコの 神の命(みこと)と申される
 オオクニヌシよ わが夫(つま)よ
 あなたはこれを ごぞんじか?
 女の宿命(さだめ)は 哀しくて
 旅立つことさえ できません
 風にゆられて あなたを送る
 さびしい出雲(いずも)の 一本すすき
 風に吹かれて 迷います
 あなたは男の 神だから
 いくつもの土地を めぐるでしょう
 いくつもの野辺を 越すでしょう
 野辺のすすきの その陰に
 かわいい花も 咲くでしょう
 かわいい花を 摘むあなた
 わたしは女の 神だから
 ひとりでここに 残ります
 あなたのほかには だれもない
 あなたのほかには 夫はない
 ああ
 わたしは女の神だから
 あなたのほかには だれもない
 帳(とばり)の布の ゆらゆらと
 ゆれる寝床で 待ちましょう
 うすい掛け絹 ふわふわと
 かける寝床で 待ちましょう
 白い敷布 さやさやと
 さわぐ寝床で 待ちましょう
 わたしの腕を取る人は
 あなたのほかに おりません
 わたしの胸がさわぐのは
 あなたのほかに ありません
 愛しい愛しい ヤチホコの
 神の命よ 待ちましょう
 あなたがいずれ もどられて
 やさしくわたしを だきしめる
 その日のくるのを 待ちましょう
 あなたは静かに 眠ります
 白いわたしの この腕で
 豊かなお酒を 召しあがり
 あなたは ゆっくり寝るでしょう
 別れの時に この酒を
 どうぞ 一気に 飲みほして
 わたしの心を 忘れずに
 どうぞ 一気に 飲みほして
 お出かけなさい ヤチホコの
 神の命よ 安全に
 旅のごぶじを 祈ります

 (講談社 橋本治の古事記)


 ゆるし7/10

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