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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分をたいせつにするという基本!(愛の孤独 2/10)

2012-08-25 | 第四章「愛とゆるし」

 日本の暑中お見舞い、残暑お見舞い。酷暑の中で、お互いを労わる心遣いは、本当に良いものだと思う。暑い中ではあるが、日本に生まれてよかったと思う。

 今年は、どういうわけか、猛暑の中を神社仏閣に行く機会が多い。先の飛鳥・奈良・出雲もそうであったが、昨日も、近くの大国魂神社と深大寺を訪れた。2008年に知人に勧められて始めたご朱印帳の片面が終わりに近づき、地元の神社仏閣で完了したいという願望がふつふつと湧き起こった為であった。

 ご朱印を、心をこめて書いていただいているのを拝見しつつ、何か背筋をピンとさせるものを感じる。日本という国に生まれ、そして、由緒ある寺社仏閣でご朱印をいただく中で、宗旨は違うとはいえ(私はカトリック信徒)、何か通底する宗教意識を感じる。

 さて、今日は、愛の孤独を考える上で大切な、<自分>の概念について考えてみたい。

 自分とは何か?自分を大切にするとは何か?自分の身体を大切にする。これは一番わかりやすい。病気になったり、怪我をしたり・・・これを避けることは、自分のため他者のためにも大事だからだ。身体の健康を大切にするのは、だれにとっても判りやすい。

 次に、昨日も友人と話したが、厳しい修業をする宗教家は、いったい何のためかという問題だ?時には、命の危険すらかまわずに。おそらく、人の中には、宗教的な部分というのがある。それを、仮に魂とすれば、自分の魂を大事にするために修業をしたりするのであろう。暑い中、教会に神社仏閣に人が足を運ぶのも、そういう背景を考えると何となくわかる。眼に見えない大事なものにである。

 そして、もう一つ、臨床心理学が大切にするのが、生育史である。宇宙が誕生して137億年、生命が地球に生まれて40億年、現世人類が東アフリカを出立して5-6万年。日本に現生人類が到来してから1-2万年。何代もの祖父母たちの苦労の末に、人は生まれる。私は統計学が好きであったが、自分が生まれる確率の恐ろしいまでの低さに驚愕する。

 そして、生まれてからXX年。周りの人に育まれて今日に至る。それは狭い意味での生育史なのだろう。しかし、その生育史は、かなり決定的に作用し、先日のブログ書いたように、例えば三平方の定理という言葉で、十人十色の感情を湧き起こさせ反応させる。それは、長い生育史を辿らないと、説明もつかない。

 ところで、そうした、生育史を大事にするとは、何だろう?それは、自分の生育史と対話することで、いつの間にか形成されていた思い込みや、囚われを解放することではないだろうか?もちろん、生育史との対話には、生き甲斐の心理学の知識やアドバイザーが必要であり、無理な対話は危険である。私も経験があるが、無理は禁物。ヒトの心は想像以上にナイーブなのである。

 さて、生育史と言えば、今年の夏に、次のような病的な状態に、一時陥った。<他人からの批判、無関心、あるいは自己の挫折に対して、冷酷な無関心、激しい怒り、劣等感、屈辱感、虚無感などの感情で反応する>。普段は忘れているようなこと、それを誰かが刺激し、久しぶりに混乱した。こういうことは、自分だけでなく他者にも散見できるが、正に生育史からくる問題を秘めていた。

 自分を大切にする。それは、こうした生育史に起因する何かを、自己否定・他者否定に陥らないように、自他肯定できるように、生育史と対話し直すことことなのだろう。すべての地雷源を除去するのは大変であるが、2-3解決するだけで、随分違う。そして、生育史を愛し始めるとスセリ姫の歌ではないが、世界が美しくみえてくる。

 愛の孤独 2/10

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